【第1回】兵馬俑にみる驚異の写実性
秦の国王・えい政は、今から約2200年前、中国大陸初の統一王朝を打ち立て、最初の皇帝という意味の「始皇帝」となりました。始皇帝の波乱に満ちた生涯について歴史書『史記』などから知ることができるものの、記載のないことも多く、例えば皇后の名前すらわかっていません。 ところが1974年に始皇帝の陵墓から東へ約1.5km離れた場所から、巨大遺跡「兵馬俑坑」が発見されたことで、歴史の謎が少しずつ解き明かされようとしています。 この連載では全3回で、「始皇帝はなぜ8000体もの兵馬俑作らせたのか?」の疑問に迫りながら、東京国立博物館で開催中の特別展「始皇帝と大兵馬俑」の担当研究員・川村佳男さんが兵馬俑などの発掘から解明された始皇帝とその時代を解説します。
始皇帝の軍団を丸ごとのコピー? 兵馬俑とはどういうもの?
兵馬俑とは兵士や軍馬を粘土で忠実にかたどり、固く焼きしめて作った像のこと。今から約2200年前、中国で初めて天下を統一した秦の始皇帝が作らせたものです。兵士の像高は冠や髷を含めて190センチほどあり、顔の作りは1体ずつ異なっています。このことから、実在したある軍団の兵士ひとりひとりをモデルにしたとする説が有力視されています。どの俑も頭髪や服のしわといった細部まで、極めて写実的に作りこまれています。ある軍団を丸ごとやきものの像に写した兵馬俑のかたちには、階級の上下や、歩兵・騎兵といった役割の違いまで表わされています。 今回、私たちが上の写真のような再現展示を行ったのには理由があります。それは兵馬俑が合計8000体とも推算される、比類のない規模の「群像」だからです。遺跡の再現展示を通して、1体ずつそれぞれがもつ魅力とともに、兵馬俑が本来備えている群像としての迫力も紹介する、これが本展覧会の最大のねらいなのです。
兵馬俑を詳しく見てみよう
「将軍俑」とよばれる像を見てみましょう。 冠をかぶり、リボン状の飾りをいくつもつけた鎧を着ています。実戦での機能性よりも装飾性を重視した身なりから、一般の兵士ではなく、軍団の指揮官を写したものと考えられています。この種の鎧と冠を身に着けた俑は、今までに約10体しか出土していません。その希少性もまた、指揮官の像であることの証左であるといえます。 前方に組んだ筋骨たくましい腕とともに、静かにたたえたほほ笑みには自信と威厳が漂います。百戦錬磨の武将にふさわしい精神性までが顔の表情から伝わってくるようです。将軍俑と対照的に歩兵の俑は、装飾のない実用的な鎧を着用し、攻撃命令を待っているかのように緊張した面持ちのものが多数出土しています。 このように兵馬俑は、軍団内部の位置づけによって、身に着けた鎧や冠の形状だけでなく、顔の表情まで変えて作られました。