パラグアイ唯一の和牛農場訪ねて 「カバーニャH」林英二郎さん 《1》現地ビジネス誌『FOCO』表紙を飾る
3カ月での帰国を嘆願した最初のパラグアイ生活
林さんはパラグアイで暮らし始めて今年で48年。2017年にはニッチな和牛生産の成功者としてパラグアイのビジネス・経済誌『FOCO』の表紙を飾るまでに至り、これまでパラグアイ日本商工会議所の会頭も二期務めたが、最初にパラグアイの空港に降り立った時のことを「失敗の始まりだった」と冗談交じりに振り返って笑う。 林さんは中学一年生の時、母親の実家の岐阜羽島を流れる長良川の河川敷に乳牛が放牧されている風景に憧れ、牛飼いになろうと決めた。高校2年の時、会社を経営していた父親が亡くなり、母親に負担をかけないために北海道の酪農学園短期大学2部に進学し、夏は牧場で働き、冬は外の作業がない時に学校へ行く学生生活を過ごした。 卒業後はオーストラリアに行きたかったが、パラグアイで牧場をやるという会社からの話があり就職。オーストラリアやニュージーランド、ハワイの牧場を見ていたのでパラグアイも同じような外国だろうと思って来てみた。 ところが空港は簡素なレンガ積みの建物、職場は原始林の中に建てた3m×4mの作業小屋。電気も何もなく、夜は満天の星空と野生動物の鳴き声が聞こえるだけで、便利な日本の生活から一転した。「3カ月で帰国させてほしい」と本社に手紙を送ったが、「高いコストをかけたのだから1年は我慢しろ」と、1年後にようやく帰国許可が下りた。 二度とパラグアイに来ることはないと思っていたが、結局帰国の7カ月後にはイグアス移住地に戻った。不安もあったが、土地の開発は着々と進み、牧場の形が出来上がってくると仕事に没頭するようになった。(続く)