【バレー】女子日本代表、パリ切符獲得の裏側 支えたリザーブメンバーの思い/広報リポート
<女子日本代表広報リポート 第6回> バレーボール女子日本代表の坪崎亜希子広報がお届けする「女子日本代表広報リポート」の第6回。ネーションズリーグ(VNL)予選ラウンド(R)第3週福岡大会でパリ五輪切符を獲得したチームの舞台裏をお届けします。 ◇ ◇ ◇ カナダ戦翌日の6月14日午前11時40分。宿舎内のミーティングルームに集まった選手とスタッフに、真鍋政義監督から重要な発表がされました。 「2年半前にこのチームが集合し、最大のミッションとしてパリ五輪の出場権をとることを掲げてやってきた。先ほど、正式にFIVBから日本のパリ五輪出場権の獲得が決まったと通知が来ました。おめでとうございます」 ついに、バレーボール女子日本代表がパリ五輪切符を獲得。 吉報を受けてミーティングルームを出た選手たち。するとそこには、廊下で立ち止まって顔を両手で覆いながら大粒の涙を流す、最年長のセッター岩崎こよみ選手(35)の姿がありました。 世界ランキング1位だったトルコ相手にフルセットの激闘で勝利したときも、フルセットでブラジルとカナダに敗戦したときも、どんな時も岩崎選手の凜(りん)とした表情が変わることはありませんでした。その表情が崩れた瞬間でした。あふれ出る涙は、彼女が背負ってきたものの大きさを物語っているように見えました。 「五輪切符獲得が決まったから涙が出たわけではないんですが…」と涙の理由については語りませんでしたが「ほっとしました。プレッシャーは大きかったけど、みんなの頑張りが実を結んだことは素直にうれしいなと思います」と安堵(あんど)の表情を浮かべました。 今年3月11日にチームが始動し、およそ2カ月でVNL開幕。短い準備期間で担った正セッターに覆いかぶさるプレッシャーは、計り知れないものだったのではないでしょうか。 それでも、彼女はここまで一時も表情を乱すことなく、落ち着いた振る舞いでチームに安心感を与えてきました。 そんな岩崎選手の肩をゆすりながら共に涙を流していた選手がいました。33歳のリベロ山岸あかね選手です。 「こよさんが泣いていたからもらい泣きしちゃいました。もう10年一緒にやってきていて、家族のような存在。チームが良い時も悪い時も一緒にやってきているので、涙を流しているこよさんの姿を見たら、自然に涙が出てきました」 岩崎選手の肩をゆすりながら、2人で涙を流しました。 彼女もまた、大きな覚悟でチームを支えてきた1人です。第1週のトルコ大会では1人ベンチ入りしないリザーブ、15番目の選手としてチームに帯同。練習は一緒に行いながら、試合では選手のサポートに回っていました。33歳というベテランながら、10歳以上も離れている最年少22歳のドリンクを作ったり、荷物を運んだりと献身的にチームをサポートしてきました。 「自分がチームで試合に出ている時に、リザーブの選手がどれだけ必要な存在なのかを感じています。試合に出られたらそれはうれしいけど、出れる出れないではなく、チームのためにできることは何かを探しながら過ごしている。オリンピックの切符を取ることが出来て、ただただ本当にうれしい」 山岸選手も日頃から落ち着きがあり、表情を変えない選手です。その2人の涙の先にあった言葉は、多くは語らない静かなものでした。 山岸選手「また頑張りましょう」 岩崎選手「頑張ろう」 山岸選手と同じリザーブメンバーは、他に3選手が福岡大会に帯同しました。 オクム大庭冬美ハウィ選手は常に口角を上げ笑顔を絶やさず、松井珠己選手はベンチ入りするセッターとともに相手の攻撃を分析して意見を交わしてきました。そして、15日セルビア戦からベンチに入った田中瑞稀選手も、チームにどう貢献できるのかを考えながら、タオルの準備などを率先して行っていました。 1人1人が我慢強く、自分がチームに貢献できることを探して行動する。そんな彼女たちのサポートと思いがあったからこそ、つかむことのできたパリ切符でした。 この2年半で関わったすべての選手、スタッフ全員の積み重ねが実を結びました。 ONE TEAM ONE DREAM。ひとつのこころで、まずは、ひとつの夢をつかみました。 ◆坪崎亜希子(つぼさき・あきこ)1993年(平5)6月25日、北海道千歳市生まれ。小5からバレーボールをはじめ、高3までバレーボール部に所属。現在は番組制作会社に勤務し、日本バレーボール協会広報部撮影班として女子日本代表チームに帯同中。