「畑違いでもおもしろい仕事に」 北野高・恩知校長の生き方<下>
「なみはやドーム」スケートリンク担当に
そんな経験を積んだ後、今度は大阪の府立高校全体はどんなものかを見たくなってきた。そして、教育委員会・指導主事の試験を受け合格。しかし、異動先は教育振興室保健体育課。当時「なみはやドーム」という愛称だった大阪府立門真スポーツセンターでの勤務だった。 最初は「なんで?」と思った。スケートリンク担当となり、小さな子どもが受講する教室の運営を担当、畑違いの担当に戸惑いもあった。 しかし、そんな時「なみはやドームのスケートリンクは氷が良い」と評判になり、フィギュアスケートの国際大会の会場に使われた。 折からのスケートブームも重なり、以後大きな大会が続けて開催され、運営側の代表を務めることになった。大会には多くの観客が訪れ、高校教諭の現場では思ってもみなかった仕事を一生懸命続けた。そうしていくうちに最後には「おもしろい仕事やなあ」と感じていた。
エリート校構想、韓国の英語教育視察
その後、教育委員会の高等学校課に異動。当時の府知事、橋下徹氏が「公立エリート校構想」を立ち上げた頃だった。自身の上司が北野高校、天王寺高校への文理学科設置を任されており、作成に携わった。 また、2010年に橋下氏が韓国の英語教育に力を入れる小学校や、英才教育を推進する高校などを視察した際には、ツアーコンダクターも務めた。 当時、韓国ではすでに小学校3~4年生から英語を習っており、視察した人たちにも現地の生徒らが話しかけたら英語で対応してくれる姿に、韓国の英語教育がいかに進んでいるかを目の当たりにし、大きな刺激となった。また、橋下氏もこの視察を受け「現場の先生に海外の先進的な教育事例を見てほしい」と、後に約500人の視察派遣を決めた。
小学生に教えられた「校長先生は子どもたちを幸せにしてくれる仕事」
その後は人事交流で大阪教育大に派遣され、教授として教職入門を担当。大学生に学校の現場の実情や教育課程について3年間教えた後、昨年4月に北野高校へ異動した。「14年ぶりの高校の現場、でも妻が現場の感覚を教えてくれていたので大丈夫でした」 かつて自らが文理学科のカリキュラム作成に携わった学校。「才能にあふれていて、それぞれが個性豊かで、わくわくする子が多い」「部活動や学校行事も一生懸命やろうというマインドを持っているのはすごい」と生徒たちの頑張りをうれしそうに話す。 ただ、人はいつも現在進行形。もっともっと成長するためには「『しっかり、とがっていく部分』『幅広くみていく部分』の両方を持ってもらいたい」とも話していた。 先日、同校の近くにある小学校1~3年生を対象にした出前授業に行った時の話。子どもたちに「校長先生ってどんな仕事をしてると思う?」と質問したら、ある子が「子どもたちを幸せにしてくれる仕事」と答えて驚いた。 そして、校長の仕事は教育環境をしっかり整え、生徒の幸せなこれからを作っていけるように時に引っ張り、サポートする仕事と感じた。 「子どもたちからは、ほんまに教えられる言葉をもらいますね」。これまでの経験を生かすべく、恩知校長は学校で生徒らを見守っている。 ■恩知忠司(おんち・ただし)1960年、大阪市生まれ。大阪教育大学付属平野中学校、同付属平野高校卒業後に京都大学文学部に入学。1983年、大阪府教員採用試験に合格し大阪府立平野高校に着任。同府立生野高校へ異動後、兵庫教育大学大学院への内地留学をへて、大阪府教育振興室保健体育課、大阪府教育委員会指導主事に。2014年に人事交流で大阪教育大学教授に就任。2017年4月から大阪府立北野高校校長に着任。妻は大阪府立夕陽丘高校の恩知理加校長。