「爆弾の衝撃で目が飛び出る」…硫黄島を襲った「激しすぎる空襲」の恐怖
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
激しい空襲「目が飛び出る」
硫黄島戦は1945年2~3月の地上戦を一般に指すが、必ずしも正確とは言えない。それ以前から地上戦に先だって米軍は連日、空襲や艦砲射撃を日本側守備隊に加えていたからだ。 「私が島に着いたころ、1日4回の空襲がありました。現地の兵士たちは、それを『定期便』と呼んでいました。避難に慣れたもので、動じている様子はなかった。島の北部には電波探信儀(レーダー)があって、爆撃機が100キロ圏内に近づくと、元山飛行場の見張り所に連絡しました。見張り所の兵士は『180度方向! 敵編隊100キロ近づく! 』などとメガホンで周知する。その後、80キロ、60キロ、40キロと近づくたびに周知の声が発せられる。20キロになったらサイレンが鳴り、皆、作業を中断してぞろぞろと防空壕に入っていった。さらに差し迫ると『ばくそーひらくー(爆倉開く)! 』『ばくだんとーかー(爆弾投下)! 』。そして、ピシャーという夕立のような音がする。爆弾が落ちる音ですよ。その音を、避難した壕の中で聞く」 米軍による空襲の頻度は増すばかりだった。 「壕の中では皆、うつぶせになり、両手で両目と両耳を覆う。耳を塞いでいても、鼓膜が破れんばかりの爆発音が轟きました。目を覆わないと、爆弾の衝撃で目が飛び出る、と教えられていました。近くに爆弾が落ちると、入り口からきな臭い爆風が入ってくるんですね。みんな我慢しましたよ。息が苦しくて。爆撃機が爆弾を落とし終えてUターンして帰っていくと、みんな壕を出て、深呼吸しましたね。12月末ごろになると、空襲は倍増しました。そのころになると爆撃機が消えた途端、また次の爆撃機が来ると知らされました。『情報! 情報! 』って」 「艦砲射撃も4回ありました。南の方からやってきて島の5000メートル手前から攻撃してきた。巡洋艦と駆逐艦。あまり大きくない。艦隊はいつも9艘でした。いつも同じルートでした。守備隊は反撃しなかった。無抵抗ですよ。だから艦隊は悠々と島を回っていましたね。低速で。完全になめきっているんですよ。護衛する戦闘機もなかった。1回の艦砲射撃はだいたい2時間でした。その間、ずっと防空壕に入ったきりでした。壕を掘る兵士たちも壕の中で休憩していましたよ。反撃は一度も見たことがないです。だからどこに砲台があるのかは分からなかったですね。艦隊が近づいても味方戦闘機は迎撃に行かなかった。空中待避です。舞い上がって砲撃中、(上空で)待避するわけです」
酒井 聡平(北海道新聞記者)