大阪唯一の「掩体壕」など 戦争遺跡を辿る案内人の思い
巨大な大正飛行場の周辺に航空機産業が集積
大正飛行場は1941年、運用開始。全長1600メートル、コンクリート舗装による東洋一の規模を誇る滑走路を持っていた。周囲には総延長11キロの水濠が張り巡らされ、水濠の幅は最大50mに達した。 同飛行場を所管し、司令部を構えていたのが、陸軍第11飛行師団。日本本土を3分割し、京阪神を中心に中部から中四国におよぶ広大な圏域の防空を担当していた。実戦部隊として、飛行第246戦隊が配置されていた。 飛行場に隣接して大阪陸軍航空廠が併設されていた。航空機にかかわる機材の調達や修理を行う基地だった。さらに飛行場や航空廠を取り囲むようにして、軍用品を製造する多くの工場が稼働していた。 「戦前まで民需製品を生産していた工場が、資材の供給を軍に握られたこともあり、軍需製品を手掛けるようになった。航空機分野の製造には最先端技術が求められ、八尾にはものづくりの伝統があった。戦後を迎えて軍需から民需への再転換が可能だったのも、すぐれた技術力を応用できたからだ」(大西さん) 1基の掩体壕を通じて、八尾の街並みや産業立地から人々の働き方までが浮き彫りになってくる。
垣内掩体壕と第246戦隊戦闘指揮所の文化財保存を提唱
大西さんは地元関係者250人に取材し、八尾の戦争遺跡の詳細を「日常の中の戦争遺跡」(アットワークス刊)にまとめた。工員たちが朝夕行き交った航空廠通用門の門柱などが、八尾市によって公園に保存されている。 戦後70年を迎えた昨年には、第11飛行師団司令部があった場所に地元文化団体が記念碑を建立した。大西さんも建立にかかわり、記念碑の説明文をしたためている。第246戦隊戦闘指揮所が八尾空港の陸上自衛隊八尾駐屯地内に現存し、広報展示室として利用されている。大西さんは垣内掩体壕と第246戦隊戦闘指揮所の文化財保存を、行政などへ働きかけている。 「掩体壕は全国10か所ほどで文化財として保存されており、垣内掩体壕も文化財として十分価値があると確信している。第246戦隊戦闘指揮所は現存する旧陸軍の戦闘指揮所としては貴重な事例であり、世論を喚起して文化財保存を実現したい」(大西さん)