【追悼’24】「浪速のモーツアルト」キダ・タローさんのCDが「マドンナよりも売れていた」頃
‘24年も多くの著名人が惜しまれつつ旅立っていった。過去に本誌が紹介してきた記事などをもとに、往時の活躍をふり返り、故人を偲ぶ──。 【と~れとれぴ~ちぴち♪】『かに道楽』とキダ・タローさん ◆「メロディーだけなら猫でも作れる」 5月14日、93歳で大阪市内の自宅で亡くなった作曲家のキダ・タローさん。誰しも一度は耳にしたことがあるであろう多くのCMソングなどを手がけ、「浪速のモーツアルト」の呼び名で親しまれた。 キダさんが生まれたのは1930年の兵庫県・宝塚市。捜査一課の刑事を父に持つ6人兄弟の末っ子だった。近隣で〝一番上品だった〟関西学院中に進学、高等部3年のときにタンゴバンドを結成、アコーディオンを担当する。バンドメンバーには大学時代の同級生だった藤岡琢也もいた。 やがて、キャバレーやクラブに出入りするようになり、大学を中退してプロのピアニストを志す。キャバレーなどで編曲の仕事をするうちに、’60年代から放送業界を中心に作曲の仕事をするようになった。初めて作曲をしたのは19歳のときで、ミナミのキャバレーでその歌を歌ったのは、当時ナンバー1ホステスで後に『かしまし娘』の一員となった正司歌江だった。 「メロディーだけなら猫でも作れる」と豪語して名曲を量産。生涯作曲した数は本人にもわからなかったようで自称「5000曲」とのことだったが、実際にそれぐらいはあるのではないかといわれている。 キダさんの作品といえば、CMソングでは「と~れとれ、ぴ~ちぴち」の『かに道楽』や「あ~らよっ!出前一丁」の『出前一丁』(日清食品)、「おやまゆ~えんち~」の『小山ゆうえんち』をはじめ数知れず。さらに『生活笑百科』(NHK)や『2時のワイドショー』(読売テレビ)などテレビ番組のテーマソングや芸人・坂田利夫の出囃子『アホの坂田のテーマ』も、キダさんが手がけた。 『探偵!ナイトスクープ』(ABC)では「最高顧問」として、’89年から亡くなる直前まで出演していた。そこでプロデューサーから‘90年につけられた称号が「浪速のモーツアルト」だった。 ◆マドンナのアルバムよりも売れていた 本誌がキダ・タローさんを取材したのは’93年2月26日号。『大阪発! 今バカ売れの〝元気音楽〟』として、キダ作品の集大成として’92年11月に発売されていた『浪速のモーツアルト キダ・タローのすべて』がバカ売れしているという記事でのことだった。 《多いときには1日600枚売れました》というレコード店のコメントもあるほどの売れ行きで、ウソかホントか難波ではマドンナのアルバムよりも売れていたという。大ファンだというみうらじゅんは《関西人の〝血のサウンド〟っていうか、ブルースみたいなものなんです》とキダサウンドを絶賛していた。そして、キダさん本人は自身のCDについて次のようにコメントしていたのだった。 「東京で流れているのはドレもコレもしようもない曲。このCDが売れれば、10 年後には東京にもいいCMが出てくるかも。それまでは私、浪速のモーツァルトにCMソングを発注して下さい」 キダさんは3月29日の『探偵!ナイトスクープ』の収録後に体調を崩し、一時入院していた。退院後も体調は回復しなかったようだ。 葬儀はキダさんの意向をくみ、親族らだけで行われたという。 ご冥福をお祈りします──。
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