『わたしの宝物』“地獄につながる運命”を丁寧に描く第3話――あまりに残酷な「子どもの名前」に戦慄
■「托卵」という行為に共感させることに成功 ここまでが第2話までに丁寧過ぎるほど描かれた。それは言うなれば「托卵」に説得力を持たせるための“お膳立て”と言ってよいだろう。しかし今作がそうした作為的なものに見えなかったのは、どの事象もキャラクターに寄り添うように自然で、何よりそれらが感情に訴えかけるドラマチックな演出になっていたからだ。 視聴者はそれらの“お膳立て”を、運命……ここでの運命はポジティブなものではなく、“地獄へ導かれる運命”のように、体感できたのだ。つまりほとんどの視聴者が理解できないであろう「托卵」という行為に共感させることに成功し、見事に表現できたと言える。 ■初回と“対(つい)”になるような展開 さて今回の第3話は、「まだまだこれまでの物語に意味があったのか!」と感心するほど、初回と“対(つい)”になるような展開をみせていく。前回の“育児放棄宣言”で視聴者を戦慄させたその直後、子どもが生まれるや否や、宏樹は“父性”を見せたのだが、それを引き金に、物語はまさに“地獄へ導かれる運命”に向けて、さらに大きく舵を切っていく。 メロドラマやハートウォーミングになってしまう場面も、「托卵」によって全ての意味が変わってくるという恐怖の構図に。そして今回、さらなる“地獄”を感じてしまうのが、子どもにつける名前。あまりにも残酷で、それを知った時の美羽と同様に、視聴者に戦慄が走ること必至だ。 もちろん、前回生きていると判明した冬月とその周辺も描かれていくのだが、これについては粗方道筋が“読める”はずなのに、“読める”展開になればなるほど怖ろしさが増していく。とにかく今週もこれまで以上の衝撃が待っている。
■ 「テレビ視聴しつ」室長・大石庸平 おおいしようへい テレビの“視聴質”を独自に調査している「テレビ視聴しつ」(株式会社eight)の室長。雑誌やウェブなどにコラムを展開している。特にテレビドラマの脚本家や監督、音楽など、制作スタッフに着目したレポートを執筆しており、独自のマニアックな視点で、スタッフへのインタビューも行っている。
「テレビ視聴しつ」室長・大石庸平