上田誠仁コラム雲外蒼天/第44回「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」
ある卒業生が実践と結果で示してくれた
ある卒業生が“知らない・できない・わからない”からスタートし、やがて「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」との思いを、まさしく実践と結果で示してくれたことに驚いた。 4月15日伝統のボストンマラソン。2時間9分59秒で日本人トップの8位に入賞。森井勇磨(33歳:京都陸協)の名前がリザルトに書き込まれていた。 森井は2014年の第90回箱根駅伝のアンカー。留年して迎えたこの大会で1回のみ出走を果たしている。ちなみのこの年は2区のエノック・オムワンバが腓骨疲労骨折のため途中棄権した年であり、3区以降は参考記録となっている。そのため区間順位はついていないが、区間5位相当の記録で走破している。 京都・山城高校から入学してきた森井君は、真面目で一徹な走ることが大好きな選手の印象があった。そんな良き面を覆いかぶせるほどに、リズム体操やラダー、ミニハードル・バランスボールなど、何をやらせても下手で不器用で遅かった。 何しろできない時間(日々・・・月日)が長く、あきれるほどであったことが思い起こされる。今でもリズム体操を、壊れたブリキのおもちゃのような動きでやっている姿を鮮明に思い出す。 卒業後は一時期実業団等に在籍するも、“真面目で一徹=周りが見えない”ところもあったためか退社。その後は市民ランナーとして走り続けてきた。ボストンマラソンの結果は1981年のこの大会を2時間9分26秒で制した瀬古利彦氏以来の“サブテン”(2時間10分切り)を達成しての入賞であったと後に知った。 不器用を絵にかいたような森井君が「習ったなら実践を繰り返し慣れろ」をまさしく卒業後10年かけてボストンで証明してくれたことは誇らしい。 “知らない・できない・わからない”がやがて“知っている・できる・理解している”になる日を楽しみに、すべての“新入生・新入社員”にエールを贈る。 上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。 ※本文に誤りがあったため、修正いたしました。
月陸編集部