センバツ高校野球 明秀日立 中国留学生、行進で先導役 仲間の晴れ舞台、誇り胸に /茨城
18日開幕予定だった第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)は、雨天のために開会式などが19日に順延された。明秀日立は、行進の映像をスクリーンに映し出す形で開会式に参加。その先頭でプラカードを持つのは中国からの野球留学生、卜子楓(ボクシフウ)さん(3年)だ。仲間たちの晴れ舞台を飾る誇りを胸に、開幕を待っている。【長屋美乃里】 ◇「できなくても努力」野球で学ぶ 「野球部の代表として行進できて光栄」と、卜さんは顔をほころばせた。新型コロナウイルス禍を受け、開会式に参加するのは開幕日に登場する6校のみ。第5日に初戦を迎える明秀日立は、事前に地元で撮影した行進の映像が映し出される。先導役を言い渡されたのは撮影前日。異国の地で努力する姿を評価されての抜てきだった。 中国・上海出身。日本で仕事をしていた母の影響で、幼い頃から日本語に親しんできた。小学2年から始めた剣道では、上海の大会で2年連続優勝したこともある一方で、野球とはほぼ無縁だった。 転機は中学2年。偶然遭遇した野球の試合に混ぜてもらったことがきっかけだった。いきなり投手として参加。勝てなかったものの、その面白さに夢中になった。 野球を始めて間もなく、金沢成奉監督の知人に声を掛けられた。中国での野球振興を見据えた、明秀日立への野球留学。金沢監督からは「自分が思っているよりしんどいし、高校野球は甘くない」とくぎを刺されたが、野球への思いから、意志は揺るがなかった。推薦入試にも合格し、念願の高校野球生活を目前に発生したのが、新型コロナウイルス禍だった。 入国制限で日本に行けない日々が続いた。入学前から入っていた野球部のLINEグループでは、活動を始めた部員たちが活発にやり取りしていた。自分だけ取り残された気分だった。「何でここにいるんだろう」。上海での勉強にも身が入らなかった。 ようやく入学できたのは2020年11月。しかし、既に部員たちの関係性は出来上がっており、ウエートトレーニングなどで体力面でも差を付けられていた。疎外感と無力感で涙がこぼれた。 「自分が行きたいと決めた。親も応援してくれているから」と、歯を食いしばったが、なじめない状況は続くばかり。そんなとき、意識を変えたのが、金沢監督の一言だった。「ボウ(卜)は人とかかわろうとしていない」 学校制度の違いもあり、厳密には同期部員より一学年上。「変なプライドがあったのかもしれない」と気づかされた。時間があれば仲間たちに話しかけた。最も仲良くなった一人が、エースの猪俣駿太投手(3年)。「野球を通じて人との関係の築き方を勉強できた」と振り返る。 センバツ直前のノック。卜さんは大声を張り上げながら、仲間とともにボールを追っていた。金沢監督は「以前は(ボールに)飛び込みすらせずに諦めていたのに、最後まで食らいつくようになった。できなくても努力する姿勢はスポーツの原点。野球に欠かせないものに気づけたのでは」と目を細める。 「日々いっしょに練習している仲間と同じ舞台に立てるのは、めっちゃうれしい」。卜さんは、くだけた日本語で喜びをあらわにした。