元木大介が明かす“強い巨人愛”ゆえの悲劇… 「野球浪人」時代の辛い思い出を吐露<ダグアウト!!!>
8月6日に放送された野球トークバラエティ「ダグアウト!!!」(毎週火曜夜10:00-11:00、BSJapanext<263ch>)。今回のゲストは巨人一筋15年、“クセ者”と呼ばれ存在感を発揮した元木大介と、巨人の“安打製造機”として活躍した清水隆行。いまだから話せる“ギリギリ”エピソードが盛りだくさんの放送回となった。 【写真】ワイン通の原辰徳、元木大介の感想をばっさり ■“太っ腹な先輩”が連れて行ってくれた「レストラン」 ガチャガチャでトークテーマを決定する“ガチャガチャダグアウト!!!”のコーナーで、最初にガチャガチャに手をかけたのは元木。でてきたトークテーマは、“太っ腹な先輩”だ。元木はこのテーマを見て、思わず「なにこれ」と突っ込む。 MCのますだおかだ・岡田圭右が「一番お世話になった先輩は?」と振ったところ、若い頃にお世話になった人物として原辰徳の名前が挙がった。「原さんが若い選手を連れて、いろんな…レストラン、料亭、いろいろ連れていってくれた」という元木。言葉に詰まるようすを見て、岡田は「言葉困ったんやろうな」と鋭いツッコみを投げかけた。いろいろという割に「料亭」「レストラン」と似たような場所を挙げた元木の苦しそうなトークに、スタジオが笑いに包まれる。 「銀座のクラブ言いたかったけど、やめとこ思ってグッと飲み込んだ結果、“レストラン”」と言い訳がましく元木。「ロイヤルホストか」という岡田の煽りに「あそこ美味い」と笑いを誘う一幕も見られた。 さらに深掘りすると、元木によると連れていってもらったのは鉄板焼きなどの高級店。そして、原監督といえばワインだと語る。元木がコーチをしていたときに、ワインへの感想について「お前から返ってくるのは『美味しい』しかないじゃないか」「勉強しろ」と怒られたことがあるという。そういう発言をするほど、原はワインに精通しているらしい。 たとえば、原は高級店などに“自分のワイン”が置いてあるそうだ。お店に行くとそのワインの前に立ち、原自ら飲む順番を指定してワインを出してもらう。そんなときに一緒にワインをいただいて感想を聞かれた元木が「美味しいです」とシンプルに答えたところ、原に「美味しいしか言わんのかい!」と言われてしまったという。 また元木がコーチをしているときに入ってきた桑田真澄もワインに詳しい。ロッカーでワインの本を読んだり、飛行機の搭乗中にパソコンを開いて“自分がどこのお店にワインを置いているか”というワインリストを編集していたことを明かす。 教養あふれる原と桑田のエピソードだが、2人は野球人。元木が「野球のこと考えてへんやん!」とオチをつけたため、スタジオは大きな笑いに包まれるのだった。 ■「ジャイアンツでプレーしたい」という強い思い 2回目のガチャガチャで元木が出したトークテーマは“ドラフト”。よほど思い入れがあるのか、このトークテーマについては話しきるために「2時間いるよ」と笑いを誘う。 元木は1989年のドラフトで、当時の福岡ダイエーホークスから1位指名されるも入団を拒否。ハワイで1年間「野球浪人」をして過ごした経緯について話し始めた。 初めてスカウトの人と会ったときに「プロに行けるんだ」と思ったなど、当時の感慨を振り返る元木。しかしいくつかの球団から事前に「一位指名する」とアプローチされていたこともあり、元木のなかに「プロに行けるんだったら、自分の好きな球団でやりたい」と思いが浮かんでくる。 記者に「どこの球団でやりたいですか」という質問を受けた際も、「ジャイアンツでやりたい」とハッキリ答えるほど気持ちが固まっていた元木。そしてドラフト当日…ジャイアンツから1位指名されると聞いていたものの、ジャイアンツが1位指名をしたのは大森剛だった。「あれ、俺じゃねぇな」「俺の名前呼んでくれると言ってたじゃん」とそのときの心境を振り返る。たしかに元木の立場からすれば、裏切られた気持ちになるのも無理はない。 色々な感情を抱きながら自分の名前を呼ばれるのを待っていると、ホークスが“外れ1位指名”で元木を指名。しかしドラフト会議が終わったあとにおこなった家族会議でも、元木の「ジャイアンツに行きたい」という思いは消えていなかった。しかし彼と交渉する権利を持つのは、1位指名をしたホークスのみだ。 ホークスのスカウトと話をしていると、話が横道に外れていくのを感じた元木は「行かない」という意思を父親に告げた。それを聞いた父親は、交渉してくれているホークスに対して先延ばしにしないように促す。 当時、元木のもとには6大学野球や社会人野球からのオファーも来ていたという。しかし大学に入ると4年間、社会人になると3年間はプロ野球の舞台には立てない。その期間がもったいないと考え、「野球浪人」をするに至ったのだとか。 当時の自身の立場を「ヒールの人間になってしまった」と分析する元木。日本では野球浪人という立場は一般的ではなく、目当ての球団からのオファー以外を蹴った形の元木は一部メディアから「生意気」と報じられるほどバッシングを受けた。 元木へ世間の風当たりは強く、母親がノイローゼで倒れてしまったという。買い物や洗濯物をしているところを写真に撮られてしまうなど、到底味わったことのない監視状態だ。 そんななか、南海ホークス時代に監督を務めた穴吹義雄の息子と縁があってハワイで面倒を見てもらうことに。そんな元木が巨人入団の夢を叶えたのは翌1990年。2000年には巨人の4年ぶり優勝に貢献した。 ■元木の口から語られた苦い思い出 「ジャイアンツでやりたい」という強い思いを持っていた元木。ドラフト会議での苦い思い出を語ってくれた。当時は大森が「1位指名でなければ巨人にもいかない」と豪語していたタイミングであり、元木の巨人愛を知っていた首脳陣が2位指名と決めた…という事情も広く知られている。 結果的にホークスが交渉権を勝ち取った経緯はあるものの、オファーを断ったのは純粋な巨人愛ゆえだった。それを「生意気」「断った」と紙面に書かれ、「ヒール」扱いされたのは高校生にこたえる仕打ちだったに違いない。 苦い思い出は話題に挙げにくいが、元木の巧みなトーク術が幸いしてしんみりしすぎない塩梅に。ゲストのトーク力に助けられるというのは最近の「ダグアウト!!!」あるあるだが、さまざまなエピソードを明かしやすい雰囲気があるのも事実。今後も“いまだから話せる”ゲストの情報を楽しみにしたいものだ。