「福岡ナンバーワン納税者になって社会貢献」日本に明太子を生んだ企業/「味は守るな」5代目社長の思い ~ふくや前編
終戦直後、日本で初めて明太子を商品として売り出したとされる、福岡・博多の老舗明太子店「ふくや」(福岡市博多区)。代表を務める5代目の川原武浩氏は、「味は守らない」のモットーを掲げ、博多華丸さん主演の映画プロデュースなど「攻め」の経営を展開している。その人生や事業承継を紹介する。 【動画】日本に明太子を生んだ企業の「博多愛」
◆10年かけて開発した「味の明太子」
武浩氏の祖父にあたる、ふくや創業者・川原俊夫氏は、1945年、沖縄の宮古島で終戦を迎えました。 朝鮮半島から引き揚げてきた家族とともに、1948年に博多で食料品卸の会社を立ち上げたのが、ふくやの始まりです。 俊夫氏は、かつて住んでいた韓国・釜山の市場で売られていたキムチ味のたらこを思い出し、日本人の口に合うよう、10年かけて研究を重ねます。 研究の甲斐あって、明太子の元祖となる「味の明太子」が完成しました。 ふくやの明太子はその後、全国で爆発的な人気を集めることに。 その人気ぶりを見た周囲は特許取得を勧めますが、俊夫氏は「明太子は名物とか珍味じゃなか、ただの惣菜たい」と、それを断り、他社に明太子の作り方を教えます。 「いろんな会社がいろんな味の明太子を作った方が、結果的に明太子が広がるのではないか」――そんな思いがあったのでしょう。 実際、明太子業界は1400億円の巨大市場に成長しています。 創業者の死後は妻・千鶴子が会社を引き継ぎ、2人の息子たちがそれを支えました。
◆創業者の夢「福岡で一番の納税者」そのわけは社会貢献
「創業者はどんな人だったのですか」と問われた武浩氏は「理念が経営しているような人」と答えます。 その背景には「戦争から無事に帰ってこられたのだから、これからは世の中の役に立つ生き方がしたい」という思いがあったのでしょう。 創業以来の理念は「社会貢献」。特に強いこだわりを見せていたのは「税金を納めること」でした。 税金を納めることが一番の社会貢献になる――その考えのもと、俊夫氏は「福岡で一番の納税者になる」という夢を掲げ、ついにはそれを実現して亡くなったのです。 武浩氏は今もその思いを尊重しており、「今後、主力商品が明太子ではなくなる可能性はあるものの、創業者の理念はずっと大切にしたい」と語ります。