「箱崎縞」を知ってますか? 先人の思いを令和に紡ぐ/福岡市
福岡市の箱崎地区でかつて作られていた綿織物「箱崎縞(しま)」が復活しました。ストライプやチェックのシンプルな柄、柔らかな肌触りが特徴で、シャツやパンツ、スカートなどを作って販売しています。商品を紹介する同市博多区のギャラリー「メゾンはこしま」では、箱崎縞をイメージしたスイーツも楽しめます。 【写真】箱崎縞の商品を扱う「メゾンはこしま」
戦争で途絶えた歴史
「モダンで古くささがない。今の価値観と変わらないセンスを感じます」。デザイナーで、香蘭女子短大准教授の尾畑圭祐さん(46)が、現存する反物の切れ端を見せてくれました。 福岡市東区の箱崎一帯は、古い神社などが点在するエリアです。その古いまち並みも、九州大学箱崎キャンパス跡地の再開発で大きく変わろうとしています。 明治時代まで漁業と農業が中心だった箱崎。住民らは地域の新たな産業をおこそうと、仕事の傍ら家々で手掛けていた綿織物に注目し、箱崎縞の”歴史”が始まります。 箱崎縞は、経(たて)糸と緯(よこ)糸を交互に交差させる、平織と呼ばれる簡単なつくりです。柄はストライプやチェックといったシンプルなものばかりで、尾畑さんは「複雑な図柄や加工を施さないことによってコストを抑えた設計」と話します。 まちには染織と織物の工場が建ち、機械を導入して大量生産が可能になりました。記録によると、多いときは織元5社で200人を超える職人が働いていたといいます。 箱崎縞は実用性が評価され、庶民の普段着や浴衣、座布団や布団のカバーといった日用品の素材として広がりました。炭鉱労働者に愛用され、最盛期には6割を筑豊地区に出荷したそうです。「ボロボロになるまで使われ、最後は雑巾に姿を変えたので、残っている品は少ないです」と尾畑さんは言います。
貴重な現存品の中に、博多祇園山笠で戦前に使われた法被があります。当時珍しい化学染料を用いていた箱崎縞は今も色あせていません。尾畑さんによると、現在も一部の流(ながれ)が受け継ぐ縦縞の柄や、濃紺と白のコントラストがはっきりした色遣いは、その当時の名残だといいます。 大正以降、箱崎縞の生産量は一段と増えますが、太平洋戦争の拡大とともに、工場は軍事用の包帯やガーゼなどの生産拠点に切り替えられました。終戦間際には、物資不足から金属製の織機も回収され、半世紀以上続いた歴史は途絶えてしまいます。