玉袋筋太郎 中学卒業式まで“子どもの学校行事”に行けなかったことを明かす「行きたかったんですけど“いじめられちゃう”と思って…」
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。7月22日(月)のお客様は、タレント・俳優の毒蝮三太夫さんと浅草キッド・玉袋筋太郎さん。ここでは、個性的な芸名で活動してきたお2人ならではの苦労をともに振り返りました。
◆個性的な芸名ならではの悩み
玉袋:(ビートたけし師匠から)玉袋筋太郎という名前をいただいたんですけど、やっぱり変な名前じゃないですか。芸も何にもなくて“名前だけで笑いがとれるから”っていう甘い考えで玉袋筋太郎をもらってしまったから、仕事に出づらくなったというか、そういう部分はありましたね。だから、結婚しても女房は「うちの旦那、玉袋筋太郎です」って言わなかったです。 毒蝮:うちも同じだよ。 玉袋:ですよね(笑)。 毒蝮:当時、かみさんはデパートに勤めていて「笑点」(※)を観ていなかったんだけど、半年ぐらい経ったときに同僚に「あんたの旦那、蛇になったわね」って言われてびっくりしたらしいんだよ(笑)。 ※毒蝮さんは座布団運びとして本名の石井伊吉で「笑点」に出演し、後に番組内で毒蝮三太夫に改名することを発表。 玉袋:ハハハ! 毒蝮:その名前になるときに、(俳優で)仲人の小林桂樹さんに相談に行ったのよ。それまでは文芸作品にも石井伊吉で出ているわけだから、それが“毒蝮って改名するのはどうなのかな?”と思って。だけど、小林さんがシャレた人でね、「いや~、やってみたら? だめだったら長谷川一夫になっちゃえよ」って(笑)。 玉袋:うまい(笑)! なんてすばらしいリアクションなんだろう! 毒蝮:その言葉で背中を押されたね。 玉袋:いいですねぇ~。 * 玉袋:うちは、妻も子どもも(父が玉袋ということを)一切言わなかったですし、僕も子どもの学校行事に行きたかったんですけど、“(父の正体が分かると)いじめられちゃう”と思って、1回も行っていないんですよ。 でも最後の最後、あれは中学の卒業式かな? それは行かなきゃと思って。そうしたら、ほかのお父さんお母さんたちが「なんで、玉袋筋太郎がいるんだ?」って驚いちゃっているわけですよ。 毒蝮:余興で呼ばれたとか(笑)。 玉袋:本当にそんな感じです。そこで、初めて子どもが学校で生活している姿をちょっと見られたから、それだけで号泣です(笑)。 毒蝮:絵になるねぇ。 玉袋:(その卒業式で)一番泣いていたんじゃないですかね、子どもたちより泣いていたんだもん(笑)。 毒蝮:(玉袋の)子どもはどうだった? タレントだって知っているわけでしょ? 玉袋:子どもには、前日に「俺、行くからよ」って言いました。だけど、ほかの生徒には誰にも言ってなかったそうで、うちのかみさんとか子どもは、それを逆に楽しんでいたみたいですね。 毒蝮:俺は子どもがいないから、玉とはずいぶん条件が違うだろうけど、俺も「毒蝮」ってつけたときは人に言えなかった。でも、朝の番組に行くと「歓迎!」なんて横断幕が置いてあるんだよ。うれしいなと思ったら、間違えて「毒蛇」って書かれていたのはずいぶんあったね(笑)。 玉袋:うわさでは「毒蝮、来る」って書いたポスターを貼ったら、近所の子どもたちが本当の蛇が来ると思って、ピンセットと虫眼鏡とビニール袋を持ってきたって(笑)。 毒蝮:そんなこともあったよ。湘南の大磯のスーパーで番組をやったときには、放送中に救急車が来て、白衣を着た職員が俺のところに来たの。 っていうのも、誰かが「マムシが出た」って、シャレのつもりで救急車を呼んじゃったんだ、それは笑い話で済んだけどね。 (TOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」2024年7月22日(月)放送より)