巨砲積むのに弱そう!? 激レア「攻撃力に全振り」戦車なぜ誕生? パッと見 “チョロQ”
戦車というより自走砲
北欧の1国であるフィンランドは、1939年11月に大国ソ連(現ロシア)の侵攻にさらされました。これは俗にいう「冬戦争」で、同国は厳しい条件をのんでいったんはソ連と停戦したものの、わずか1年半後の1941年6月には、またしてもソ連との間で「継続戦争」が始まってしまいました。 【頭でっかち!】フィンランド独自戦車「BT-42」を色んなアングルから(写真) フィンランドにとってソ連と2度も戦争するのは、経済的にかなりの負担です。戦費が限られる中、各種兵器をそろえるために積極的に鹵獲(ろかく)したソ連軍兵器の有効活用も行いました。 そのような流れの中で、ひときわ異彩を放つのが、ソ連戦車をベースにしたBT-42突撃砲(突撃戦車)でしょう。同車は短砲身を備えた頭でっかちの砲塔を搭載しており、どこかしらユーモラスな外観をしています。ただ、同車もまたフィンランドが実戦で使用した立派な装甲戦闘車両。では、なぜ、このような姿になったのでしょうか。 フィンランドは、21世紀の今でこそノキアを始めとした電子産業やストラ・エンソに代表される製紙業を筆頭に、ある程度工業化が進んでいますが、1970年代までは農業や林業が中心の国でした。そのため、国内にめぼしい自動車産業や重機メーカーなどはなく、戦車をイチから設計・開発するノウハウはほとんど持っていませんでした。 とはいえ、地上戦の兵器の要ともいえる戦車や装甲戦闘車両は、戦時下の国にはいくらでも必要です。そこで、鹵獲したソ連製のBT-7快速戦車を利用して、独自の火力支援装甲戦闘車両を造ってはどうかという計画が持ち上がります。というのも、火力支援に適した中口径以上の野砲は、その展開や移動に手間と時間がかかります。とりわけフィンランドは積雪著しい土地柄であることから、砲の自走化は要望が高かったのです。
ソ連戦車に英国製の大砲を合体!
フィンランドはBT-7を53両鹵獲していました。そこで、同戦車の車体には手を加えず、砲塔のみを改造して中口径野砲が搭載されることになりました。 選ばれた野砲は、イギリス製のQF4.5インチ榴弾砲です。同砲は口径114.3mmの野戦用榴弾砲で、1908年に制式化され、第1次世界大戦で多用されました。その後、冬戦争に際してイギリスから24門がフィンランドに供与されたほか、中古兵器としてスペインからも30門を購入していました。 こうしてソ連の戦車にイギリスの砲を組み合わせたフィンランド独自の戦車が誕生することになったのです。ただ、あまり大掛かりな改造は時間的にもコスト的にも割に合わないため、砲塔リング径の拡張などは行わず、あくまで砲塔形状を変えるだけに留められました。とはいっても、砲塔底部や前部の一部はそのまま残し、そこに大きな榴弾砲を収めるための箱型戦闘室を追加接合する方法で造られています。 なお、ほとんどの戦車には、戦闘中に車内に充満する砲や機銃の発砲煙を車外に排出するためのベンチレーターが備えられていますが、BT-42にはそれがありません。そのため、砲塔の後部には大きな観音開き式の扉が設けられていました。 これは、敵弾が心配される直射戦闘時は無理ではあるものの、連続する間接砲撃時などは、操砲時の利便性と弾薬補給の容易化などといった目的で開放されることが多かったようです。