小倉智昭「30歳過ぎて、金の無心を母親に。恩返しの仕送りの行方は…。同時期に肺がんを患った姉からは、まさかのLINEが」古市憲寿が聞く〈家族の本音〉
◆母への恩返しは… ──それはすごい借りですね。お母さんに恩返しはできたんですか。 おふくろが80歳まで現役で看護師をやっていて、介護施設に入ったのは90歳近かったかな。亡くなるまでの9年間くらいは施設に入った。その前もずっと仕送りしていたんです。当然、おふくろにもらったお金よりもはるかに多い分、毎月送ってたんだよ。 でも死んだ後見たら、そのお金に手をつけてないんだよね。親ってそういうもんなんですよね……。 姉に「あなたがおふくろの面倒を見てくれたから、これ何かの足しに使って」って言って、そのときに相続も放棄したんですよ。姉がずっと一緒に暮らして面倒を見てくれていたんで。 ──お姉さんがいるんですね。 6つ上の姉と二人きょうだいです。本当は俺の1歳下にもう一人いたらしいんだけれども、生まれて1週間くらいで亡くなったので。親父に言わせると、その子は優秀な子だったらしい。あの子は利発な顔していた、って言うんだよ。あの子が生きていたら、こんなことにはならなかったって。
◆姉弟仲良し ──お姉さんとの仲はいいんですか。 いいですよ、すごく。姉は僕と同時期に肺がんやって、抗がん剤治療をしたりしたけど今は落ち着いている。何年も一緒に食事もしていないなと思って、この前久しぶりに銀座に連れていって、何でも食べてって言ったら、喜んでくれていたけど。 もう二人にとっちゃ最後の晩餐かなって思いながら。いや、だってそうでしょ。向こうも81だし、つえ使っているし、歩くのも大変だからね。車の乗り降りも大変だしさ。 向こうも最後の晩餐かも、と思って来たみたいね。まだ、がんは残っているから、旦那さんが心配して、普段は人がいるところへ行っちゃ駄目だと言って、コンビニも行かせてくれないんだって。 だから反対されると思ったけど、「トモ(智昭)ときっとがん患者同士いろいろ話したいこともあるんだろうから行っておいでよ、ゆっくり話しておいで」って送り出してくれたんだそうです。 それで本当に、ゆっくり話して帰したら怒鳴られたらしいよ。「こんな遅くまで何してるんだ!」って。姉からLINEが来て、しばらくうちには来ないでください、だって。 ※本稿は、『本音』(新潮社)の一部を再編集したものです
小倉智昭,古市憲寿