還暦を迎えた「ザ・コレクターズ」の古市コータローに聞く、バンドマン人生の最終目標とイケおじになる秘訣
ーー還暦ということで改めて伺いますが、古市さんがプロになったのはコレクターズがきっかけなんですよね。 古市 そう。10代の頃"モッズ"に夢中になり、THE BIKEってモッズバンドのライブに行ったんです。そこで加藤(ひさし)さんと知り合って。その後、加藤さんに誘われ、ザ・コレクターズのメンバーとして活動するようになりました。それが1986年ですね。 ーーごくごく自然な流れで始まったと。 古市 そうですね。しかも幸運なことにその頃、"ネオGS"(註:1980年代半ばライブハウス中心に起こった、60年代サウンドを志向するバンドたちによるムーブメント)がきて、コレクターズもその中にいたからあっという間にメジャーデビューが決まっちゃった。 ーー順風満帆だったんですね。 古市 でもその後、すぐネオGSは終わるし、自分らも思ったように売れないしで大変でしたけどね。2017年に武道館公演をやれたし、もう40年近くやってるけど、本当に頑張ったと思いますよ。 ーー古市さんのようにバンドマンとしてのみならず、ソロミュージシャンとしても、80年代半ばからいまなお第一線で活躍する方って少ないですよね。 古市 確かにそうかも。まぁ、よほどツキがあるんだろうなぁ(笑)。 ーー長い音楽人生の中で、転機はどこになるんですか? 古市 2000年に事務所が閉鎖しちゃったんです。それは大きかったかな。その頃、加藤さんは体調を崩しちゃったので、自分がプレイヤーとしてだけでなく、マネージャー、経理、雑用まで全部やっていました。 ーー全部ですか!? 古市 そう、全部。全国のライブハウス一軒一軒に電話して、少しでも好条件を引き出しながらブッキングし、リハーサル組んで、ライブ当日も水と弁当を用意して一番先に現場入って準備して。弁当もナメられるのイヤだからいいものを買って(笑)。 あと、月末になると封筒にお金を入れて、バンドメンバーや音響さん全員に給料払ったり。その状態が数年間、続きました。だけど、おかげで全国のライブハウスや音楽関係者と信頼関係が築けたし、バンド業界のこともよくわかった。ものすごく大きな財産になりました。いまはたとえ何かあっても自分の置かれている場所がわかるから、絶対に動じないですね。 ーー途中、バンドを辞めようと思わなかったんですか? 古市 なかったねー。辞めても他にやることなかったし、俺、引き際が悪いんですよ。やっていればどうにかなるもんなんですよね。 ーー面倒だからって逃げ出しちゃう人もいますよね。 古市 俺、逃げるのイヤだから(笑)。それに面倒がイヤだって人は、バンドにロマンを求めすぎているんだよね。バンドなんてひとつの会社だと思えばいいの。そうすれば大体のことは割り切れるし、苦労なんてほぼないんですよね。 ーー潔いし、男気がありますね。憧れるというか。そういえば古市さんみたいなイケおじというか、カッコいい大人になりたいってファンやバンドマンは多いですよね。見た目も年齢を感じさせないし。 古市 ありがたいことになりたいと言ってくれる人はいるし、年のことは特に言われますね(笑)。言うと驚かれるもん。でもアンチエイジングとかやってないけど。せいぜい白髪を染めるくらい。ギタリストはシルエットが大事なんでジムには通うけど、食べ物も無頓着だし。昨日の夕飯なんて「うまかっちゃん」だよ! ーーカッコつけてないというか、つくづく自然体です(笑)。それが秘訣ですかね。 古市 カッコつけるのは大事だけど、いつか素性がバレるからさ。それにこの年で無駄にカッコつけてたら、相当イタいよ(笑)。 ーーザ・コレクターズといえば、日本で一番のモッズバンドじゃないですか。モッズって休日でもフレッドペリー着るとか、強いこだわりがあるイメージですけど、古市さんのSNSを見ていても、そういうのも見られないですね。 古市 そういうのはもうないねー。そもそも自分はもうモッズだと思ってないですから。さっき年取って本性に戻るって言ったけど、それこそモッズ以前に戻った気がする。ある時期から小学生の頃から好きなジーンズばかりだし、ユルい格好ばかりですよね。何十年もモッズにこだわってきた俺だから、それも含めてモッズなんだって無理やり言えなくてもないけど。