「夫を殺されたという女性があまりに多い」難民キャンプの窮状 ミャンマー国軍の次はアラカン軍が… ロヒンギャを撮り続ける新畑克也氏 世界に黙殺される悲劇【大規模迫害から7年】
「日本からよく来たね」とサトウキビを分けてくれた年配の男性。ミャンマーで長年差別や迫害を受け、移動制限などを課せられてきたロヒンギャだが、それでも故郷のマウンドーでは家や畑を持ち、家族や友人たちと食事やお茶、娯楽を愉しみ、モスクで祈りを捧げ、人間らしい営みがあった。しかし密集した難民キャンプではプライバシーもなく、誰もが狭くて暗いシェルターに押し込められ鬱々とした日々を過ごしている。
迷い込んだ象がシェルターを踏みつぶした
2018年2月22日早朝、クトゥパロン難民キャンプに野生の象が迷い込み、ロヒンギャ難民1人と地元住民1人が亡くなり、30名近くが負傷した。私が夕方に現場を訪れた時にはまだ辺りは手の付けられない状況で騒然としており、シェルターを破壊された少女が呆然と立ち尽くしていた。もともとこの地域はジャングルでここで暮らしていて行き場を失った象も被害者だが、何故ロヒンギャは幾度も破壊され、奪われて、追放されなければならないのか。
ロヒンギャ難民危機が起きた当初は「未曽有の人道危機」と報じられ世界の注目を集めたが、その後の新型コロナウィルスの世界的感染拡大、ミャンマーでは軍事クーデーターによる新たな人道危機や経済危機で混迷をきわめ、ウクライナやパレスチナ自治区ガザ地区などで起きている凄惨な状況で、ロヒンギャ難民問題は過去のように扱われ、支援は減り関心は急速に薄れている。 またバングラデシュの難民キャンプで2019年8月25日に「虐殺2年目」の大規模な難民による抗議集会を当局がコントロールできなかったことがきっかけでキャンプ内にフェンスが設置され、モバイル通信が遮断(その後緩和された)、メディアの取材も厳しくなり、現地の状況や難民当事者の声はより伝わり難くなっている。その中で複数の頼もしいロヒンギャ難民のフォトジャーナリストやビデオグラファーたちが活躍し、限られた国際NGOはしぶとく支援を続けている。 現在は難民キャンプでの自由な撮影ができなくなってしまったが、2023年と2024年には日本最大のロヒンギャコミュニティの在る群馬県館林市で暮らすロヒンギャの方々に同行してバングラデシュを訪れ、彼らが支援するキャンプ内の学校の子どもたちの様子や交流を記録し続けている。
私の夢は、一刻も早くバングラデシュの難民キャンプや日本で出逢ったロヒンギャたちの故郷であるミャンマーに平穏な日々が訪れ、彼らと一緒に現地を訪ねることだ。彼らが誇らしそうに教えてくれるラカイン北部の美しい光景をこの目で見て、豊かな文化を体験し、美味しい料理のおもてなしを受けたいと思っている。
写真家 新畑克也
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