『ブギウギ』スズ子の新曲「ジャングル・ブギー」とは? 物語の背景や歌詞から紐解く
放送中の朝ドラ『ブギウギ』(NHK総合)では、ヒロイン・スズ子(趣里)がまたも大きく変わろうとしている。この時代を象徴する大スターとして、そしてひとりの女性としてだ。 【写真】『ブギウギ』クランクアップを迎え花束を受け取った趣里 これまでに数々の名曲を披露してきたスズ子だが、そろそろ新曲を発表する頃合いだろう。それは果たしてどのようなものなのだろうか。母親となったいまの彼女は、その声と身体で何を表現するのだろうか。 “スズ子がまたも大きく変わろうとしている”と先述したが、これは新たな出会いと、懐かしい人との再会があったからだ。新しい出会いとは、有楽町界隈を取り仕切っているおミネ(田中麗奈)を筆頭とした夜の女たちとのこと。そして懐かしい人との再会とは、幼なじみであるタイ子(藤間爽子)とのことである。 おミネたち“パンパンガール”との交流は、ある雑誌記事が世に出たことからはじまった。ご存知のとおり、三流ゴシップ雑誌『真相婦人』の鮫島鳥夫記者(みのすけ)が書いたもの。そこにはスズ子の意に反して、生きるために必死な夜の女たちを軽視するような言葉が並んでいた。彼女たちの反感を買ってしまうのも無理はない。怒った「ラクチョウのおミネ」がスズ子のもとに乗り込んできたのだ。 しかし後日、スズ子は誤解を解くため彼女たちのもとにひとりで向かった。そこでこの第20週の「ワテかて必死や」 というタイトルが腑に落ちる。はたから見れば華々しい世界に身を置くスズ子だが、彼女だって歯を食いしばって、涙を堪えては笑顔をつくり、どうにかこうにかここまでやってきたのだ。結果として彼女の真っ直ぐな態度が、“パンパンガール”と呼ばれる女性たちと手を取り合うきっかけになった。 そして今度はひょんなことからタイ子と再会。戦争で夫を亡くした彼女もまた深い傷を負った存在になっていて、スズ子を拒絶する。だがここでもスズ子の誠実な訴えにより、和解することができた。スズ子がおミネやタイ子らに見せた一面は、決して新しいものではない。もとから彼女が持っていたもので、激動の時代を生きる女性たちの姿に触れたことでより顕在化したのだ。さあ、それでは次にスズ子がやることは何か。もう歌うしかないだろう。“彼女たち”の歌を。 そこで作曲家の羽鳥善一(草彅剛)のもとへ駆けていき、スズ子の熱意に共鳴するようにして生まれるのが「ジャングル・ブギー」である。 現代も聴き継がれる「東京ブギウギ」や、主演舞台『舞台よ!踊れ!』のステージで披露した「コペカチータ」、『ジャズカルメン』のステージ上で歌い上げた「ハバネラ」など、大衆を熱狂させるいくつもの名曲を披露してきたスズ子。それぞれの楽曲は“時代”を反映していて、歌い手であるスズ子のマインドも投影されている。 この「ジャングル・ブギー」の歌い出しは〈ウワオワオワオワオワオワオ〉というもの。非常に野性的で、これまでの楽曲たちとは一線を画すものだろう。とくに「東京」という大都会を舞台にした「東京ブギウギ」とは対極にある歌なのではないだろうか。とはいえ野性的な叫びは、あくまでも感情の比喩のようなもの。「女豹」の視点で綴られていている恋の歌詞に登場する「ジャングル」とは、彼女たちの生きる時代や社会や環境を指しているのだろう。 史実において「ジャングル・ブギー」は映画監督の黒澤明が作詞し、彼の手がけた『酔いどれ天使』(1948年)の劇中歌として使われている。三船敏郎や木暮実千代といった映画スターが登場する酒場でのダンスシーンにて、スズ子のモデルである笠置シヅ子も自ら歌って踊っているのだ。 笠置シヅ子の人生はリアル(=現実)であり、スズ子の人生はあくまでもフィクション。だからモデルにしているとはいえ、まったく違う。「あんたにできることは歌だよ」というおミネの言葉に呼応するように、『ブギウギ』の世界観の中でこの歌は生まれることになる。「友達に聴かせたい」という強い想いを抱くスズ子のパフォーマンスに期待できるのは、やはりステージ上での一瞬をたくましく生きること。彼女はこの時代を象徴する大スターであり、この時代を生きるひとりの女性なのだから。その姿に誰もが自身を投影させるはずである。
折田侑駿