「フィリピン大統領の暗殺を依頼した」とサラ副大統領、現職マルコス対前職ドゥテルテの全面対決へ
■「ニノイ・アキノ暗殺はマルコス家の仕業」 大統領のメッセージについて同日、囲み取材に応じたサラ氏は1983年、ニノイ・アキノ元上院議員が亡命先からマニラ国際空港に帰国した際に航空機から連行され、タラップで銃殺された歴史を持ち出した。 「彼ら(マルコス家)がニノイ・アキノを暗殺した時に国民が立ち上がったのではなかったか」 暗殺事件をきっかけにシニアの独裁体制に対する反発が強まり、1986年の「ピープルパワー」政変によってマルコス家が国外に追放された経緯を指摘したのだ。独裁政権が暗殺を指示したとの説は強いが、直接の容疑者がその場で射殺されたこともあり、真相は確定していない。
同じ11月25日夜、父のドゥテルテ前大統領も記者会見した。娘の暗殺発言について「取るに足らないこと」と問題にしない姿勢を示したうえで、マルコス氏を「長年の麻薬中毒者」と呼び、「今、統治が崩壊している。マルコスやロムアルデスを正せる者はいない。緊急の解決策はない。正せるのは軍だけだ」とあたかもクーデターを促すような発言をした。 マルコス氏とサラ氏は3年前、「ユニチーム」を結成して正副大統領選に打って出た。ドゥテルテ前政権の政策継承と「UNITY」(団結)を掲げ、史上最高得票で圧勝した。
マルコス、ドゥテルテ両家の接近は2016年、ドゥテルテ氏がシニアの遺体をマニラ首都圏の英雄墓地に埋葬することを認めたことから始まった。 シニアは1989年に亡命先のアメリカ・ハワイ州で客死し、遺体はその後、故郷の北イロコス州に運ばれた。マルコス家は英雄墓地への埋葬を望んだが、戒厳令下で拷問などの人権侵害にあった被害者らが反対し、歴代政権は認めてこなかった。ところが、ドゥテルテ氏は大統領に就任直後に埋葬を認めた。
■選挙共闘の蜜月は短期間で崩壊 2022年大統領選では、すべての世論調査で大統領候補のトップに立っていたサラ氏が副大統領選に回ったことでマルコス氏は圧勝した。いわば大統領の座を譲られた経緯から、マルコス氏はドゥテルテ陣営に配慮しながら政権運営を進めるとみられていた。 ところが実際には新政権が発足すると、さまざまな分野で前政権の政策は覆された。サラ氏は国防相兼務を希望したが、教育相に回された。外交・安全保障政策では、親中路線から親米路線に転換し、中国に対し南シナ海領有権問題で一歩も引かない立場を明確にした。