中越地震で“沈んだ”集落の区長だった夫の想いを継ぎ 記憶と記録を未来につなぐ80歳
この取材のおよそ3か月後、夫の治二さんは胃がんのため亡くなりました。75歳でした。 【松井キミさん】「(治二さん)意外と頑固でしたよ。一本気の。意外と自分の言ったことは曲げない」 山古志のために命を燃やし続けた治二さんが残したもの、それが震災遺構のすぐそばに建てた交流施設『郷見庵(さとみあん)』です。 【松井キミさん】「この郷見庵ができたら、お前はここの当番だぞ、自分らで一生懸命行政にお願いして建てた建物だから、だからお前はそうだよって言われて休んじゃならないよって」 郷見庵は木籠を応援する支援者らが野菜を販売し、休憩処としても運営しています。2階は震災や復興の歩みを伝えるスペースになっています。 キミさんは次女の智美さんと毎日欠かさず店番をしています。 【キミさんの次女 篠田智美さん】「やっぱり来てくれる人を本当に大事にするというか人を大事にする両親だと思っていますよね。」 郷見庵は山古志を応援する人たちが訪れ、そして松井さんから支援を受けた人が集まる場となりました。 20日、中越地震20年を目前に木籠を支えてくれた人を招いて感謝祭が開催されました。 【松井キミさん】「懐かしい人だ!何年ぶりに来てくれた!」 郷見庵の裏の畑で育てた里芋を芋煮にしてふるまいます。 【参加者は】「よく復活したよな、涙が出る。思い出すと。良くなったと思います」 【キミさんの次女 篠田智美さんん】「1000年続く山古志であればいいと本当に思うので、今はこうやってみんなと一緒に色々イベントしたり行事したり、一日一日の一歩が多分1000年続いていくんだろうなっていうふうに感じています」 【松井キミさん】「(地震から)20年になって木籠明るくなったねって、良くなったねって。人数は少なくなった。やっぱり高齢化だし、これは致し方ないし、またここの子どもも集落も発展し、郷見庵も大勢が来るようになれば何よりです」 地震から20年… これが、キミさん、そして夫が思い描いてきた山古志の姿かもしれません。
新潟放送