裁判所トップの”不正な思惑”に突き動かされて…裁判員制度導入の「裏側」に潜む「公然の秘密」とは
裁判員制度が導入された“表向き”の理由
裁判員制度の導入については、最初は、裁判官の間には消極意見が非常に強かった。 それが、最高裁判所事務総局が賛成の方向に転じてから、全く変わってしまった。最高裁長官(任期は2008年から2014年まで)の竹崎博允氏自身、かつては、陪審制を含めたこのような形の市民の司法参加についてはきわめて消極的であったが、裁判員制度については、ある時点で180度の方向転換、転向を行ったといわれている。 そして、現在では、この制度を表立って批判したりしたらとても裁判所にはいられないような雰囲気となっている。こうした無言の統制の強力なことについては、弁護士会や大学など全く比較にならない。全体主義社会における統制と自由主義社会における統制くらいの大きな違いがある。 さて、先に述べたように竹崎長官を含む当時の最高裁判所事務総局におけるトップの裁判官たちが一転して裁判員制度導入賛成の側に回った理由については、一般的には、主として当時の国会方面からの制度導入に向けての圧力、弁護士会や財界からの同様の突き上げなどを認識し、裁判所がこれに抗しきれないと読んだことによるとされている。
裁判員制度導入の“裏側”
しかし、これについては、別の有力な見方がある。 その見方とは、「裁判員制度導入に前記のような背景があることは事実だが、その実質的な目的は、トップの刑事系裁判官たちが、民事系に対して長らく劣勢にあった刑事系裁判官の基盤を再び強化し、同時に人事権をも掌握しようと考えたことにある」というものである。 実は、これは、有力な見方というより、表立って口にはされない「公然の秘密」というほうがより正しい。 私自身、先輩裁判官たちがそのような発言をした例をいくつも見ているし、刑事系の高位裁判官たちが「事務総局が裁判員制度賛成の方向に転じてくれたおかげで、もう来ないと思っていた刑事の時代がまたやって来た」という会話を交わすのも複数回耳にしているからである。 『被告人を「奴ら」「あいつら」と語る…国民を脅かす“冤罪事件”につながりかねない「刑事系裁判官」の問題点』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治制度はこんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)