バラエティー番組の元祖「光子の窓」とは? 90歳で現役バリバリの俳優・草笛光子さんに聞く【放送100年①】
「歌もせりふも、やることがいっぱいある。本当に夢中でした。ついていかないと、置いてかれるから、きつかった。いま考えると、よく生き延びたなと思いますね」 日曜夜の生放送が終われば、草笛さんと番組スタッフが集まって、翌週以降の企画を話し合った。その様子を草笛さんは、こう説明する。 「いろんな案が出て、革新的なというか、普通じゃないことをやらされました。1回ごとに、知らない世界に入れられちゃう感じ。経験したことがなくて、どうしたらいいんだろうと、真っ暗な道を歩いているような気持ちになったこともあります。でも、とにかく面白かった」 番組スタート時、草笛さんは24歳だった。「コーチューさん」か「タ―坊」と呼んでいた四つ年上の井原さんは、厳しかった。「何やってんだ。どうしてそうなんだ。違うだろ!」などと、よく怒鳴られた。それでも、草笛さんは「あの人が付いていたから、何があっても、おかしなことにはならないと思ってました」と、絶対の信頼を口にする。
草笛さんが作曲家の芥川也寸志さんと結婚したこともあり、「光子の窓」は1960年12月に終了した。その後、日テレの「シャボン玉ホリデー」、NHKの「夢であいましょう」など、バラエティー番組は各局に広がっていく。 ▽テレビ各局に出演 結婚生活は2年で終わったが、草笛さんは舞台「ラ・マンチャの男」や映画「犬神家の一族」などで活躍を続けた。テレビも日テレの「熱中時代」、TBSの「渡る世間は鬼ばかり」、NHKの大河ドラマ「真田丸」「鎌倉殿の13人」をはじめ、数多くの作品に出演してきた。旭日小綬章を含め、個人でさまざまな賞も受けている。 「『光子の窓』をやっていたおかげで、いろんなことをやらせていただきました。やっぱり、私にとっては大きな大きな仕事でしたね」 草笛さんは感慨深げに、そう話した。 × × × 日本で放送が始まって2025年3月22日で100年。ラジオ・テレビを形づくった人々に聞くシリーズ【放送100年】は随時掲載します。