物語の始まりは、「アザラシを溺愛」するマフィアのボスが仲間と皆殺しにされるところから…病みつき間違いナシの“クセつよ小説”(レビュー)
ほとんどの動物が絶滅したり強制的に駆除されていなくなった世界を舞台にした『レプリカたちの夜』(新潮文庫)で、2015年にデビューした一條次郎。動物のレプリカ工場で働く主人公が遭遇する込み入った謎をめぐる物語の中から、「人間は傲慢だ」という声が聞こえてくるこの作品を読んだ時以来、わたしは一條の大ファンなのだ。奇天烈で不真面目な、それでいて読んでいるうちに人類や世界に対する強烈なアンチテーゼが伝わってくる、オフビートとダウンビート双方の魅力を備えた小説家が一條次郎なのである。
最新の文庫化作品『チェレンコフの眠り』も然り。喋って歩行ができるヒョーという名のアザラシを主人公にしながら、浮かび上がってくるのは環境汚染や気候変動によって終焉を迎えつつある世界の姿であり、経済優先のエゴイズムを省みない人間の無責任さなのだ。物語の始まりは盛大に祝われているヒョーの誕生パーティー。武装警官隊が押し入ってきて、ヒョーを溺愛するマフィアのボス、チェレンコフをはじめ仲間全員を射殺してしまう。 食糧も尽き、初めて外の世界に出ていったヒョーの有為転変の物語で描かれていく、プラスチックごみに覆われた海、放射能汚染で巨大化したり奇形化した生き物たち、ヒョーに生命の危機が訪れるたびに現れるチェレンコフの幽霊、ヒョーにだけ聞こえる死に絶えようとしている生き物たちの声。SF的な想像力を交えながら描かれるヒョーの冒険を、作者はユーモラスで個性的な言語センスと、文明批判の眼差しをもって展開させていく。一癖も二癖もある物語ではあるけれど、その癖がいつしか病みつきになるはずだ。
入門篇としては短篇集『動物たちのまーまー』(新潮文庫)がいいかもしれない。故郷のトランシルバニアを追われ、世界を転々とした末に日本の自然健康食品会社で働くようになった吸血鬼の窮状を描いて可哀想な「ベイシー伯爵のキラー入れ歯」をはじめ7つの奇譚を収録。個性的にもほどがある一條次郎の魅力を多角的に知れる1冊なのだ。 [レビュアー]豊崎由美(書評家・ライター) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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