レスボス島で祖国と家族を思う シリア難民、欧州へ命がけの旅路
■ この人口8万人余りの島に、今年に入ってからすでに15万人を超える難民が押し寄せている。 毎日、夜明けから日が沈むまで一日15~20隻のボートが北側の海岸に到着していた。彼らの多くは地図も持たず、自分たちがどこに着いたのか、どこに向かえばいいのかさえも知らない。ただ、最終目的地のヨーロッパの国々の名前を答えるだけだ。 彼らはここから65キロの山道を歩くか、運が良ければ国連及び国境なき医師団が手配したバスに乗って島南東部のミティリという町に向かう。そこからフェリーに乗ってギリシャ本土のアテネに行き、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアなどを経由してドイツや周辺国にたどり着く。
アテネ行きのフェリーが発着する港周辺の街や、島に設置された一時的な難民キャンプは押し寄せる難民達であふれ返り、彼らを狙って法外な値段で食料を売る業者も現れるほどだ。港では、一時滞在許可書を求めて警察施設の周辺に数百人の人だかりが毎日でき、警官との小競り合いや難民同士の喧嘩が始まる。 警官の難民に対する扱いはひどく、警棒で彼らを殴打する姿も見られた。道にはホームレスの様に路上生活をする難民たちがあふれ、ここがギリシャのリゾートの島とは信じられない光景が広がっている。「僕らはまるで動物のように扱われているよ」と多くの難民は口にするのだった。
■ ある晩、港のゲート外で出会ったアフマドというシリア人の男性と、数時間話をしたことがあった。彼はトルコに奥さんと2人の小さな子供達を残し、まず自分がヨーロッパで仕事を見つけ、お金を貯めてから彼らも呼び寄せるつもりだと言う。 アレッポ出身の彼は戦争が始まる前の美しかった街の様子を懐かしそうに語り、いかに戦争が自分達の国と生活を破壊し、そして人々が殺されたかを苦渋の表情で僕に伝えた。自分の国が、戻ることも出来ないくらいに破壊され、愛する家族とも離れ離れになってしまった。次に彼らに会えるのはいつかも分からない。そもそも自分が無事にヨーロッパにたどり着けるのかも分からない。生きて家族もヨーロッパにたどり着ける保証などどこにもない。明日の事など予想しようにも出来ない日々なのだ。 「もの凄く家族に会いたいよ」と言って話を終えた彼の瞳は、見る者の胸を締め付けるような説明し難い悲しみに溢れていた。きっと僕には想像も出来ないような地獄を見てきたのだろう。そしてそれは今も続いている。僕にはかける言葉など見つかるはずもなかった。