新紙幣の肖像3人「歴史重要度」は低めのスタート 山川教科書で登場回数を独自検証 渋沢栄一 津田梅子 北里柴三郎
多才で「一言で言えない」 渋沢栄一の弱点
実は知名度が最も厳しいのは、津田や北里より点数が上でも、渋沢栄一ではないか。 印刷局は渋沢を「生涯に約500もの企業設立などに関わったといわれ、実業界で活躍した」と紹介している。 しかし“経済”という広い分野で多くの事業に関わったことで逆に印象が弱い。要するに才能・業績がマルチすぎて「〇〇の人」と「一言で言えない」人物なのである。 『中学歴史』でも「大蔵省に勤務し、新貨条例・国立銀行条例などの諸制度の改革を実施した。のち、第一国立銀行や大阪紡績会社など、多くの会社設立に関わった」と並列させている。 渋沢が初代会頭を務めた東京商工会議所が、強く“渋沢推し”をしてきたが、名字を冠した大学の存在と比べると商工会議所は知名度・親近感が低いのはつらいところだ。
“過去の人”新渡戸稲造 地味ながら最近も健闘
この渋沢に似た立ち位置にあったのが12点の前5000円札・新渡戸稲造だ。新渡戸は教育者で国際人だが、「一言で言えない」多面的な活躍をした。 事実上のお札引退から20年が経過し、特に若い世代では「新渡戸って聞いたことがあるような…」くらいの人も多くなっている。読みの「にとべ」もきつくなってきて、“過去の人”化しかけている。 しかしそんな新渡戸の功績をたたえる思いは脈々と続き、最近も動きがある。 青森県十和田市「旧市立新渡戸記念館」は一時廃止の危機にあったが、調停が成立し、ことし3月に新渡戸家に建物を無償譲与することで継続することになった。夜間中学の姿を追ったドキュメンタリー映画「新渡戸の夢」もクラウドファンディングで資金を集めてことし春に完成し、各地で巡回上映中だ。 都内でも少しさかのぼるが、東京女子大学に2009年春に新渡戸記念室が開設され、中野区では2010年に私立で同系列の新渡戸文化幼稚園から新渡戸文化短大までが、また2015年に新渡戸記念中野総合病院が、それぞれ新たに新渡戸の名字を冠した。 5000円札という地味な役割をこなした新渡戸が引退後も健闘している状況。知名度の将来不安のある渋沢にとっても心強い。 古くは銀行振り込み、最近はカードやスマホ決済、電子マネーによって紙幣・貨幣を手にする機会は確実に減ってきている。 こうした中で登場する新しいお札が日本経済の本格復活のターニングポイントと振り返られ、“重要度”が低いとした肖像の3人が輝く時代になってもらいたいものだ。 (テレビ朝日デジタル解説委員 北本則雄)
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