<島から挑む・’22センバツ大島>第1部/中 受け継いだ夢再び /鹿児島
「島からでも甲子園を目指せるんだ」。大野稼頭央投手(2年)は、奄美大島に残り野球を続けた理由の一つに2014年、大島(鹿児島県奄美市)の21世紀枠でのセンバツ初出場を挙げる。当時は小学生。甲子園のスタンドで応援し、試合を楽しむ選手たちの姿が脳裏に焼き付いている。 テレビで大島の試合を見ていた西田心太朗捕手(2年)もその一人。中学3年の時、大野投手が鹿児島県本土の私立高校から勧誘されていると聞き、焦った。西田捕手は「お前は理想の投手だ。大島でバッテリーを組みたい」と口説いた。仲間たちと甲子園の舞台に立つことが楽しみだという。 8年ぶりのセンバツ出場決定後、初めて迎えた週末の練習。当時主将だった重原龍成さん(25)は、後輩たちの練習を眺めながら「いい動きだ」と目を細めた。 かつて大島の選手たちにとって甲子園は漠然とした目標だったが、21世紀枠でのセンバツ出場で一気に夢の扉が開かれた。グラウンドの倉庫の壁に先輩たちが書いた文字の色を塗り直した。「島から甲子園」。今も現役ナインに受け継がれる合言葉だ。「島中がお祭り騒ぎ。野球部の帽子をかぶって歩いていると必ず『頑張ってね』と声をかけられた」と懐かしむ。 14年大会は、その年優勝した龍谷大平安(京都市)に初戦で2―16と敗れたが、堂々と戦い抜いた。重原さんは「現役ナインも楽しんで、そして勝って校歌を歌ってほしい」とエールを送る。 「大高(だいこう)」の愛称で市民に親しまれる大島は、21年に世界自然遺産に登録された奄美大島の県立高校。授業が終わると、選手たちは大高坂と呼ばれる急勾配を駆け上り、練習へと急ぐ。ラグビー部などとグラウンドを分け合い、練習は1時間半~2時間と限られたなかで集中しなければならない。何より離島ゆえ、他校との練習試合で経験を積む機会はほとんどない。「公式戦は全試合が練習試合のようなもの。公式戦を通じて全員が成長している」と塗木哲哉監督。 「大島の野球は逆境に立ち向かう野球。負けそうになっても、ドラマチックにひっくり返す力がある。きっと今年のセンバツでも力を見せてくれるはず」と重原さん。夢は先輩から後輩へと受け継がれていく。【白川徹】