【編集者の服捨て体験記】30年着ていない思い出のアメカジスウェットを捨てられた!着ていない服=「縁が切れた服」という真実
公開されるたびに大きな反響を呼んできた、ファッションエディター昼田祥子さんの断捨離連載が、『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』と題した1冊の本となりました。 この本では昼田さんが溜め込んだたくさんの服と、そして何より自分自身に向き合いながら、服を50枚にまで減らしていく過程で起きたことが率直に綴られています。 【画像】編集者がやっとこさ捨てた20年前のワンピースと13年前のコート 私は、この本の編集を担当しています。 もともと昼田さんの連載のファンで、読者として更新を楽しみにしていたのですが、いつからか、「この連載は本にできるんじゃないか」と思うようになりました。ある日、本当に本にできそうか検証してみようと、それまでに公開になっていたWEB連載をすべてワードにコピペし、仮の構成案に沿ってまとめ、通しで読んでみたのです。 そして、読み終わった瞬間……私はクローゼットに突進しました。 本になるかどうかより、ただただ、 「服、捨てたい!!!」 という気持ちでいっぱいになったからです(笑)。 私はもともと昼田さんと同じくファッション誌の編集を長くしていたため、服は大好きでたくさん持っていました。が、書籍編集者に転身してからは、毎シーズンのトレンドのことを考える必要もなくなり、適正な数の服を適正に入れ替えつつ、クローゼットを整えていたつもり、でした。 こんまりさんの名著『人生がときめく片づけの魔法』も読んでいましたし、「ときめかない服は捨てる!」も実践してきましたから。 それでも、私は自分のクローゼットにモヤモヤを抱えていたのです。 好きな服しかないけれど、ラックにかかった服はギュウギュウと混み合っていて、選びにくいし取り出しにくい。 だから減らしたいけど減らせない。 なんでだろうと思っていたのですが、昼田さんの「思い出服」についての文章を読んで、目からウロコが落ちました。 その服自体に意味があるのではなくて、服をフックにして、 ・あの頃の私は、楽しかった ・あの頃の私は、頑張っていた ・あの頃の私は、自分が誇らしかった という過去のいい感情を味わいたいから、手放せなかったのだと思います。(中略) 楽しい/頑張っている/誇らしいなどのいい感情は、今この瞬間にその服がなくても味わえるものです。つまり、思い出の服は不要です。もう着ないアイテムなのであれば、縁は切れています。 (『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』より) 確かに、私のクローゼットには、捨てられない思い出服がたくさんあったのです! 触ると思い出にときめいてしまうから、決して捨てられなかった服たちが。