社長は実の母、「バチバチの対立」で娘の顔中にじんましん 歯ブラシメーカーを継ぎ、ポロッと出た「ごめんね」
◆ストレスで顔中に蕁麻疹が出ていた30代
――24歳で家業に戻ってからは、どんな毎日でしたか? 母が社長になってからは、母と意見がぶつかることも多くて、小さな言い合いから大きな喧嘩まで毎日のようにしていました。 母はいずれ私に継ぐということを一向に明言しなかったので、「どうしてこんなに頑張ってるのに認めてくれないの!?」と、とにかくイライラしていたし、エネルギーが有り余っていたんです。 そして、母の期待に応えられない自分自身にも苛立ちました。 顔中に蕁麻疹が出て、ノイローゼ一歩手前のところまできてしまいました。 カウンセリングを受けたり、アメリカやインドに一人旅に行ったり、30代はとにかく自分自身に向き合う時期でしたね。 ――そんな状況を乗り切ったのには何かきっかけがあったのでしょうか。 一人でインドに渡った時に、姉と国際電話で2時間くらい話したんです。 その時に「あなたは人に依存しすぎ。周りに剣ばかり向けるから、孤立してしまうんだよ」と言われたんです。 その前にも「人が自分にどう反応するかは自分の機嫌次第だ」という考え方を本で学んでいて、「あ、そうだったのか」と腑に落ち、自分を見つめ直して自分を受け入れられるようになったと思います。 また、30代後半に副社長という役割をもらったことも大きかったと思います。 視座が上がると同時に自分の意思でできることが増え、今振り返ってもこの時期が1番生き生きとしていました。
◆「花道プロジェクト」「ガイアの夜明け」で母が勇退。自らが新社長に
――前社長であるお母様と「バチバチ」だった清水社長が、社長に就任された経緯を教えてください。 母が60代後半になり、これまでと同じように頭や身体を動かすのが難しくなったり、長期間寝込んでしまったりすることが増えてきました。 2010年4月頃、社内に「そろそろかも」という雰囲気が出始めました。 とはいえ、母には「仕方がないから」ではなく心から「もう直子に任せるわ」と思ってもらいたかったので、どうしたものかと考えているうちに「花道プロジェクト」というものを思いついたんです。 これまで社長を務めてくれていた母を労うとともに、私や社員に対して安心感をもってもらうため、母がずっと求めていた「自立型社員」の考えを社員全員に浸透させるというものでした。 そんな「花道プロジェクト」を4月に始めたところ、ちょうどテレビ番組で同族経営をテーマにファインを取り上げてもらいました。 7月の放送を節目として、母は引退し8月から私が社長に就任しました。きっかけを自分たちで作ったこともあり、最後は気持ちよく世代交代することができたと思います。 ――事業を承継するにあたって、印象に残っているエピソードはありますか? 母が社長を辞めるとき、「(母が社長だった)16年間、本当に楽しかったわ」「好きなようにものづくりをさせてもらえて幸せだった」と言ったんです。 私は母とずっとぶつかってきたし、社内も悪い意味でゆるく、決して母の理想通りの会社ではなかったはず。 それに、若い頃に夫を失い、急に会社を背負うことになった母は、私から見たら本当に苦労人でした。 社員よりも給与が低い時期もあったし、私がやりきれない気持ちになったことも一度や二度ではありません。 それなのに本当に心の底から「楽しかった」と言っている母を見て、一気に感情が押し寄せました。 ポロッと「ごめんね」という言葉が出たのですが、母はケロッとした顔で「私もお父さんに申し訳ない気持ちがあるし、そんなものよね」と。 この言葉で、私の後ろめたさも一気になくなりました。 ファインに戻ってずっと終わらない反抗期を過ごしていましたが、やっと「母と娘」の関係に戻れた気がします。
■プロフィール
ファイン株式会社 代表取締役社長 清水直子氏 1967年、東京都品川区に3姉妹の末っ子として生まれる。東洋女子短期大学(現:東洋学園大学)欧米文化学科を卒業後、新卒で貿易商社に事務職として入社。入社2年目で退社し、父が経営するファイン株式会社に入社。その後自身の母に代替わりした同社で1994年から取締役、2006年から副社長を経験し、2010年、3代目社長に就任する。歯ブラシの製造だけでなく、最近はコンサルティング事業や樹脂事業などをスタートさせるなど活躍の場を広げている。
取材・文/川島愛里