関東学院大ラグビー大麻事件で活動自粛、意識失い脳てんかん闘病→開頭手術「なんで俺だけ…」波乱万丈すぎるラグビー人生・土佐誠38歳は今
文武両道の最高峰がイギリスにある
関東学院を卒業後、土佐はオックスフォード大学に留学する。高校時代に梅本から文武両道の最高峰がイギリスにあると聞いて以来、憧れのようなものを感じていた。関東学院にオックスフォードとの定期戦があったこともあり、スムーズに渡英が決まった。 入学試験と面接はないものだと思い込んでいた。だが、現地入りしてまもなく、その存在を知る。英語の素地が全くなかった土佐は途方に暮れた。語学学校に通い、死に物狂いで勉強に没頭した。 半年後、10カ月の修了証コースに合格。同時にラグビー部にも入部した。講義や課題はいつもクラスの仲間やチームメイトが助けてくれた。ラグビー部には医者や弁護士もいれば、元代表選手もいた。多様なバックグラウンドを持つ仲間たちの振る舞いや考え方に、土佐は感化された。 オックスフォードとケンブリッジの定期戦「バーシティマッチ」にも出場した。1872年から続くこの試合に一軍選手として出場すると、「ブルー」という称号が与えられる。あらゆるネットワークを持つ両校のOBは、ブルーを持つ後輩の就職を支援する。実際にブルーを手にした土佐は、ラグビーが人生を豊かにするとはどういうことかを知った。 帰国した土佐は、内定先だったNECグリーンロケッツ(現・NECグリーンロケッツ東葛)でプレーを続けた。 2012年には日本代表候補合宿にも招集がかかった。そんな選手としてピークを迎えようとしていたとき、土佐は倒れた。26歳だった。 寮でシャワーを浴びていたときに突然意識を失った。気づいたときには病院のベッドの上だった。診断は「側頭葉癲癇(てんかん)」。発作が起きると意識を失う慢性疾患で、土佐の場合は休んでいるときに発作が起きることが多かった。 なんでまた俺だけ――。言葉にならないほどショックで、自らを恨んだ。トレーニングや食事、車の運転。今までできていた「普通」の一つ一つが、自分からいなくなるように離れていった。 「できていたことを諦めきる辛さっていうのは、その時に初めて感じました。もっとやれるのに、やれない。それでも、チームにいさせてくれたNECには本当に感謝しています。そのあたりから、引退したときのことを考え始めました」
【関連記事】
- 〈つづきを読む→後編〉「トサ、俺の親父と一緒の歳だな」ラグビー土佐誠が英国で楽しむ“38歳の新入部員”生活「頭の病気、大麻事件、いろんなことがありました」
- 【記事写真】「まだ頭には手術痕が…」波乱万丈すぎるラグビー人生・土佐誠のいま「ケンブリッジ大をチャリ移動する38歳」「五郎丸にタックルする土佐」箕内・山村・稲垣…スゴいFW輩出した名門・関東学院ギャラリーも見る(80枚超)
- 【消えた天才】戦力外通告→所属チーム不祥事が発覚…天才ラグビー選手を襲った苦難の連続「幸太朗と順平のW杯はバイトしながら見た」「引退の連絡はしていない」
- 【必読】「リーチさんの喜んでる顔を見たい」リーチマイケル35歳が後輩たちに慕われまくる理由…キャプテン拒否から一転「ビールをたくさん飲ませ…」
- 【異例の転身】合格率1%…難関を突破して夢を叶えた女性パイロット「超多忙」なのになぜラグビーのレフリーを?