インパール作戦で日本軍を窮地に追い込んだイギリス軍人の「独創的な用兵思想」(レビュー)
本書で各国の軍人の比較を行う際、著者は「指揮統帥文化(コマンド・カルチャー)」という視点を用いている。その点で、私は、前書のウィリアム・スリムと本書のオード・ウィンゲートというイギリスの陸軍軍人にとくに強く印象づけられた。二人ともインパール作戦で日本軍を窮地に追い込んだことで知られるが、いずれも正統派のエリート将校ではなく、いわば一匹オオカミで、異端に近い存在であった。その二人がそれなりの地位と処遇を与えられ、その異能ぶりを発揮する機会を提供されたことに著者は注目する。著者はそれを、イギリス軍の組織文化、指揮統帥文化の重要な部分であると論じている。 スリムやウィンゲートが異端的存在であったのは、彼らが正統派ないし主流派とは異なる独創的な用兵思想の持ち主だったからである。そして、日本の軍人に欠けていたのは、この独創性であった。大木氏は、太平洋戦争での日本軍には戦術レベルでは有能さを発揮するが「戦略的には及第点を与えられない」タイプの指揮官が少なくないと指摘し、「日本軍の指揮官は、戦闘の『公式』が通用する範囲、すなわち艦長や連隊長・大隊長レベルでは有能たり得た。しかし、より創造性と柔軟な思考を必要とする戦略・戦争指導の責任を負うや、愚行に向かうということがしばしばあったのだ」と述べている。 日本軍では例外的に、この「独創性」を発揮した軍人として著者が挙げているのが小沢治三郎である。小沢の独創性は、世界初の空母機動部隊(第一航空艦隊)の編制を促した意見書に発揮された。小沢は、教条的な作戦・戦術に拘束されず、「そのときどきに置かれた状況において最善の方策は何であるかを、おのれの頭で考えつづけた」とされている。小沢については、比島沖海戦で空母を囮にして米機動部隊を誘引したことで知られるが、それは日本海軍がリソースを失いつつあった段階で、作戦・戦術レベルの巧妙なわざによって戦略レベルでの逆転を図るという「手品」でしかなかった、と著者は指摘している。 大木氏は、戦争におけるリソースの重要性の変化を強調する。総力戦としての第一次世界大戦以降、戦争は「リソースの適切な運用の競争」となり、作戦・戦術レベルで将帥の個性が及ぼす影響の余地がせばまったと言う。それにうまく適合したのが「アメリカの戦争流儀」である。つまり、作戦・戦術の巧妙さよりも、十分な戦力のマネジメント(リソースの適切な配分と効率的な使用)が重要となる。ところが日本では、総力戦の本質に正面から向き合わず、日本の限られたリソースでも可能な作戦・戦術の教義ばかりを軍人たちに叩き込んだ、と著者は結論づけている。 過去の戦史・軍事史を例としながら、本書の指摘には、現代日本の組織一般におけるリーダーシップの問題についても示唆するところ、考えさせるところがたくさん含まれている。望蜀の感はあるが、前書や本書でもまだ取り上げられていない日本軍人、たとえば、石原莞爾、栗林忠道、井上成美などについての著者の評価も聞いてみたいものである。 [レビュアー]戸部良一(防衛大学校名誉教授) 1948年生れ。京都大学大学院修了。防衛大学校教授、国際日本文化研究センター教授、帝京大学文学部教授を歴任。博士(法学)。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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