地域の発展に尽くした西郷菊次郎…さつま町永野の顕彰会が高齢化で活動下火に
鹿児島県さつま町永野地区は、西郷隆盛の長男菊次郎(1861~1928年)の顕彰活動を長らく続けてきた。永野金山の鉱業館長も務め、地域の発展に尽力した恩人だが、近年は関係者の高齢化でさまざまな取り組みが停滞気味となっているのが実態だ。「地元でも菊次郎への関心が薄れている」との声が漏れる。 【写真】「西郷南洲先生祖先発祥之地」の石碑が建つ西郷南洲公園=熊本県菊池市
12月1日午前、さつま町の永野交流館一角にある「西郷菊次郎氏頌徳之碑」前に地元民12人が集った。金山経営にとどまらず、私費を投じて青少年教育や役場改築に力を注いだ菊次郎の遺徳をしのぶ例大祭で、参列者は次々に玉串をささげた。 主催は永野区民約330人を会員に位置付ける「西郷菊次郎顕彰会」。開催曜日は毎年変わらないが、過去50人以上いた参列者は近年めっきり減った。木下敬子会長は「寂しい限りだが、ほそぼそとでも活動は続ける」と話す。 ■ ■ 顕彰会は菊次郎の功績を後世に伝えようと、地元民が1978(昭和53)年に設立。例大祭に加え、文武両道の青少年育成に努めた菊次郎の遺志を継ぎ、11月下旬に開く剣道大会は昨年で47回目を迎えた。 菊次郎ゆかりの金山遺構の案内役や、一帯の草払いも定期的に実施。出身地・龍郷町の住民グループとも交流を深めるなど、精力的に活動してきた。 ただ主力メンバーの高齢化や新型コロナウイルス禍で、近年は下火が続く。
父親が菊次郎の開いた「夜学校」の4期生だった同会の黒田敏隆さんは「われわれの世代は菊次郎翁を間近で見てきた先輩方から、数々の偉業をじかに聞いて翁を身近に感じてきた」と振り返る。鉱業館長退任時に住民総出で別れを惜しんだ逸話なども聞き、「畏敬の念が強い分、今の若い人とは熱量に大きな隔たりを感じる」という。 ■ ■ 町は菊次郎を縁に9月下旬、ゆかりの地である龍郷町、熊本県菊池市、台湾宜蘭市との間で国際交流促進覚書を締結。観光・教育交流や経済分野で積極的に連携することを確認した。ただ現時点で、具体的な事業などは決まっていない。 西郷家のルーツがある菊池市の住民グループ「菊池源吾に学ぶ会」の津留今朝寿さんは、これまで民間レベルで各地の住民と交流を続けてきた。「交流には費用がかかる。覚書を機に4者で基金をつくり支援してほしい。各地の民間団体の活動も活性化し、顕彰も進む」と提案する。 永野顕彰会も覚書を生かして、各団体との交流促進を願うものの、今後の活動については「若者世代を巻き込んだ取り組みが十分でなかったことは反省しなければ」との声も上がる。
木下会長は「永野、そしてさつま町の人たちがどれだけ菊次郎翁のことを知っているのか。足元を見直す契機にして顕彰のあり方を考えなければ、活動が途絶えてしまう」と危機感を強めている。 ◇ 西郷菊次郎 1861年龍郷生まれ。77年の西南戦争では父隆盛に従い参戦し右足を負傷した。その後、外務省などで勤務し、95年から台湾総督府に就き、後に宜蘭庁長として治山治水や農業基盤整備に尽くした。1904年に第2代京都市長に就任。12年から8年間は永野金山の鉱業館長を務め、事業の近代化を進めた。地元では夜学校や金山倶楽部(娯楽集会所)などを整備した。地方自治発展にも尽力した。28年死去。
南日本新聞 | 鹿児島