”ひもじい””寒い””寂しい”過酷な日々を追体験した子どもたちが感じた戦争と疎開【沖縄発】
太平洋戦争の末期、戦火を避けて沖縄から多くの子どもたちが宮崎県に疎開した。 戦争の記憶を風化させまいと、2023年12月に企画された学童疎開体験事業には県内の小学生たちが参加した。 【画像】”ひもじい””寒い””寂しい”過酷な日々を追体験した子どもたちが感じた戦争と疎開【沖縄発】 当時の疎開生活を体験した児童たちが、現地で学んだことや、感じたことをそれぞれの学校で発表した。
80年前の学童疎開を追体験
北谷小学校5年 上間叶葵さん: みなさんは、疎開について知っていますか?学童疎開生活を沖縄の言葉で、やーさん(ひもじい)、ひーさん(寒い)、しからーさん(寂しい)という言葉で表しています 当山小学校5年 眞榮城百恵さん: 当時の子どもたちはこの量のご飯すら食べることができなかったと思います。いつも食べているご飯が当たり前ではないことを感じました 大謝名小学校5年 與那覇朝惟さん: 僕は今回の疎開体験を通して、対馬丸のことと沖縄の疎開した人たちのことを深く知ることができました 太平洋戦争末期の1944年、沖縄にも戦争の足音が近づく中、国は戦闘の足手まといになるとして沖縄から子どもや女性、高齢者などを県外に疎開させることを決定した。 国策に伴い親元を離れ、九州などに集団疎開した学童たちを待っていたのは、食糧難によるひもじさや貧しさ、経験したことのない寒さ、家族に会えない寂しさが募る過酷な日々であった。 80年前の学童疎開の記憶を風化させてはならないと、沖縄県内の小学5・6年生を対象に対馬丸記念会が企画した学童疎開体験事業。 戦時中、沖縄からの疎開を受け入れた宮崎県で、当時の学童たちが送った疎開生活を追体験するものだ。 2023年12月に行われた2泊3日の宮崎研修。 参加した児童たち10人は3日間を通して、当時の貧しい食事を再現した粗食を食べて過ごしたほか、沖縄にはない寒さも経験した。
日常のありがたさに気づくきっかけに
研修中、親元を離れて過ごす寂しさを人一倍感じていたのが、北谷(ちゃたん)小学校5年生の上間叶葵(かのあ)さん。 叶葵さんにとってこの研修は、初めての県外の旅であった。 Q.きのうの夜はすぐ眠られた? 北谷小学校5年 上間叶葵さん: すぐ眠られなくて、お母さんとか家族のことを思い出したら寂しいなという気持ちがよくわかりました 家族と離れて過ごした3日間は叶葵さんにとって、日常のありがたさに気づく一つのきっかけとなった。 北谷小学校5年 上間叶葵さん: 初めて家族と離れ寂しかったです。疎開した子どもたちも、長い間寂しい思いをしていたと知り、悲しくなりました。家族の大事さに気づくことができて、感じるものがたくさんありました。学童疎開体験事業を通して、知ることの大切さ、伝えて繋いでいくことの大事さに気づくことができました