死ぬ場所探した次男 「生きていてごめん」 後藤誠子さん講演 不登校ひきこもりの親が幸せな理由㊥/兵庫・丹波市
かつて、次男が引きこもりの当事者だった後藤誠子さん(岩手県北上市)が、兵庫県丹波市で当時の思いや、次男とのエピソードを語った。関連記事、「包丁持ち 人生終わった」から続く。
進んだ「うつ」 親の会で号泣
人身事故は次男ではなかった。何とか連絡がついたので東京まで会いに行くと、無精ひげで、よれよれのTシャツとジーンズ、底が外れたスニーカーを履いた次男が来た。骨と皮だけかと思うほど痩せていた。 そんな姿で外に出るのは、うつ症状が進んでいたよう。そんな状態でも、母親が喜ぶならと思って来てくれたようだ。後に、いろんな引きこもりの当事者に会ったが、「母親に喜んでもらいたい」と思うそうだ。 次男は、「まだ東京から帰りたくない」と言った。私自身も、そんな状態の次男に帰ってきてほしくなかった。世間の目があるからだ。次男が帰りたくないと言った時、「良かった」と思ってしまった。 次男は、東京駅まで送ってくれた。地下で食事をしていた時、私は次男に「大変だったね」と優しく声をかけた。すると次男の手が止まり、テーブルに涙が落ちた。絞り出すような声で、「死ねなくてごめん。俺みたいな子どもが生きていてごめん」と言った。 自分の子どもに謝られた。そこまで苦しんでいると知らなかった。後で聞いたが、連絡が取れなかった5日間、死ぬ場所を探して歩き回っていたそうだ。踏切に飛び込もうとしたが、最後の一歩を踏み出せなかったと教えてくれた。 本当にショックで、これは私一人で何とかできる問題ではないと、ようやく分かった。家族相談会や、親の会などが、地元の岩手県北上市にもあった。30年ほど前からあるそうで、次男が高校生の時もあったのに、当時は行かなかった。そんな所に行ったら終わりだと思っていた。傷の舐め合いで、良い事なんかないと、ばかにしていた。 それでも、今回は行かないといけないと思って行った。そこには当事者の父母たちがいて、話を聞いてくれた。私は大号泣してしまった。安心の涙だった。それまで、苦しんでいるのは私一人だと思っていたからだ。同じ思いを持っている人がいると思うと、ものすごく安心した。親御さんには勇気がいると思うが、そういう所につながってほしい。 そうやって親の会に参加したり、心療内科がやっている家族相談会に行ったりした。そこでは、家族心理士がいた。みんな、子どもが引きこもりになるなんて、夢にも思っていない。実際、そうなったとき、どうすればいいのか分からないので、学ぶことは大事だと分かった。