「友だち親子」って憧れる? 小島慶子が実践した“子どもとのいい関係”の築き方
40年前、私たちの親の時代には【子どもがいる世帯は7割】でした。ところが今は【子どもがいない世帯が6割】。社会は大きく変わっているはず? ……と思いきや、給料は上がらないのに物価は上がり、男女の賃金格差と雇用格差はあいかわらず。暗くならざるをえない状況だけど、どうしたら少しでも豊かな人生を送れるのか、家族や友人たちとどう楽しい時間を持てるのか、小島慶子さんと考えていく連載です。 【マンガで読む】子どもがお風呂を汚しても叱らない母親…そこに隠されていた“学び”とは?
小島慶子「あなたと子どもは“友だち親子”ですか?」
友達のような親子、憧れますか? 子どもにファーストネームで呼ばせている人もいますよね。先日もショッピングモールのトイレで、5歳くらいの男の子が個室のドアの向こうのお母さんと思しき人に「みかー、みかー、お腹痛いの? うんち?」と聞いていて、とっても可愛かったです。中から「ちょっと待って! うんちとか言わないで!」と答えているお母さんの気持ちもわかるので、余計に可笑しく微笑ましく、息子たちが小さかった頃を懐かしく思い出したのでした。 息子たちは私を「ママ」と呼んでいます。父親のことは「パパ」。大学生の今もそれは変わりません。私としては、息子たちが働きだして自立したら「慶子さん」と呼ばれるのも悪くないなという気がしますが、幼い頃には名前で呼ばせようとは思いませんでした。 あくまでも個人的な好みですが、私は彼らと友達のような親子になりたいと思ったことはありません。一方で「親の言うことなんだから聞きなさい」「親に対してその態度は何なの」などと上下関係を強調することも避けていました。 親と子には、圧倒的な力の差があります。知識も体力も経済力も何もかも親の方が強いし、子どもは親なしでは生きていけませんよね。その力の差に敏感であることは大事だと思います。力の差のあるところには、支配や暴力が生まれやすいからです。 同時に、親には責任があります。一人では生きていけない人を守り、安心して暮らせるようにする義務があるのです。そしてわが子はペットではないので、いつかは自分の手元から人間社会という森に放たねばなりません。自力で衣食住を満たし、良い人間関係を築き、社会に適応して生活できるようにするために、親は子にいろいろな知恵や情報を与えてあげる役割があります。 その責任において、規範を示し、毅然とNOを言わねばならないこともありますよね。子どもは、成長して思春期になると、もう何から何まで親の言うことが気に入らなくて、激しく反抗するようになります。あんなに可愛かった子がなぜこんなガラの悪い態度を!とショックではあるけれど、それもまた脳が順調に成長している証拠。反抗期や親子の衝突は決して悪いことではありません。生きていれば人と意見がぶつかることなんてしょっちゅうだし、社会には納得のいかない決まりも多いものですものね。 子どもにとって親は、そういう「ムカつく」状況になった時に、どのように行動すれば課題を解決できるのか、どんなやり方ならより効果的なコミュニケーションがとれるのかを、試行錯誤しながら信頼に基づいて安心して試せる相手じゃないでしょうか(当人はそんな自覚はなく、ただただ親がうざいだけなんですが)。 とはいえ親だって生身の人間なので、わが子の態度につい感情的になることも。それも失敗ではありません。言いすぎてしまった時には、素直に謝りましょう。やっちまったと思った時にどのように振る舞えば人間関係を修復することができるかを、子どもはそんな親の姿から学習できますから。 子どもは、いつか成人して社会の担い手になります。自身の家族を持つかもしれないし、後輩の指導をすることもあるでしょう。たとえ自身には子どもや後輩がいなくても、同じ社会に生きる幼い人たちをどのように守り、仲間として尊重して共に生きれば良いかを考える視点は、どんな人にも不可欠です。社会全体で子育てをするには、そういう大人を増やすことが肝心ですよね。 私が親子関係を疑似友人関係にしなかった理由は、息子たちには親の姿を通じて「大人は子どもに対してどのような存在であるべきか」を学んでほしいと思ったからです。彼らもいつか大人になり、自分よりも力のない人や弱い人たちを守る立場や、共に生きる立場になるのですから。 大学で教育学を学んでいる長男とは、最近そんな話ができるようになりました。専門的な知識はもう長男の方が私よりも豊富です。むしろ彼から学ぶことも多く、なんだか長男の話を聞きながら自分の子育ての答え合わせをしているような感じです。 彼は大学で実習を数多くこなして、いろんな子どもたちや親たちに接しています。その経験を通じて私たち夫婦の子育てを客観的に評価して「うちの親って結構頑張ってるな」とリスペクトしてくれているみたいです。 私と息子たちは友達親子ではないけれど、一緒に海外移住という冒険をやり遂げた仲間であり、家族の中で起きる困難な問題もいつも一家4人で共有してきた信頼関係があります。息子たちにとって私と夫は、最も身近な、頼りになるけど脆く、尊敬できるけどダメなところのある、不完全な大人の実例です。 性教育やお金の教育、資産の情報開示をしてきたので、身体やお金に関することでも親子間でタブーの話題はありません(ちなみに息子たちの恋愛事情については彼らが話さない限りは一切尋ねません)。 先日、ある仕事でご一緒した男性もお父様とそういう関係だったのだそうで「小島さんの子育ての話を聞いていると、亡くなった父を思い出します。安心してなんでも話せる、いい父でした」と話してくれました。 息子たちが2人とも成人し大学生となった現在、彼らと私の関係は、親子であり、かけがえのない仲間です。でも友達とは違う。親に言えないことを打ち明けられるのが友達だろうし、でももしかしたら、友達には話せないけど親になら話せるということもあるかもしれません。 安心して自分を開示できる人間関係を複数持つことが、自立をする上では不可欠です。子どもにとって、親との関係がその一つになったらいいですね。