見たくなかった「帝王の落日」。ロブ・カーマンはローキックを放つと自ら倒れた
計量時、カーマンの体重は91.4kgまで増えていた。これまでカーマンの通常体重は86㎏だったので、このときは近い将来のK-1参戦を見越して、無理に5kg以上増量しているようにも思えた。 それでも、1ラウンドには往年の対角線のコンビネーションでリビエールを攻め込んだ。KO勝利は時間の問題とも思われたが、ここでカーマンの前に階級の壁が立ちはだかった。リビエールは一見効いているように見えても、すぐに回復しダウンするまでには至らないのだ。逆に中盤になると、カーマンがロープを背に防戦一方になる攻防もあった。かつてのカーマンを知る者にとっては目を覆いたくなるような場面だった。 結末は唐突に訪れた。5ラウンド、カーマンはローキックを放つと自らダウン。両グローブを枕にするような体勢のまま10カウントを聞いてしまったのだ。 まさかの戦意喪失だった。このときすでにカーマンの両スネは致命的なダメージを負っていた。とりわけ左スネには大きな穴が空いており、鮮血が滴り落ちていた。 時代の流れを感じずにはいられなかった。時計の針を止めたかった。この試合を迎えるまでカーマンには約2年のブランクがあり、その間は俳優として映画の撮影を中心とした生活を送っていたという。36歳になっていたレジェンドがその地位のまま安泰でいられるほど、時の流れは甘くなかった。 試合後、カーマンは潔く敗北を認めた。 「18年間闘ってきて、若かった頃のハングリー精神は薄れてきている。逆に今の若いファイターはハングリー精神に満ちている。そのへんでも差がついてしまったのかなと思う」 帝王の落日。かつての栄光が走馬灯のように流れては消えていく。もうこの時点でカーマンが座るイスはどこにも用意されていなかった。 99年10月24日には地元オランダで引退試合のリングに立った。対戦相手はのちにK-1でも活躍するアレクセイ・イグナショフ(ベラルーシ)。内容では明らかにイグナショフが押していたが、ジャッジは3名ともカーマンを支持した。 その直後、カーマンは「いやいや、勝者は俺じゃないよ」と言いたげに、イグナショフの右手を上げた。帝王は最後まで帝王だった。 (つづく) 文/布施鋼治