女優・柚希礼音「あなたが受かったおかげで努力をしてこられた方が一人落ちている」宝塚トップへの転機となった両親のひと言と“天性の役”である理由
天性の“男役”である所以(ゆえん)
戸惑いながらも、必死で周りについていこうと思っていたという柚希さん。毎日が新鮮だったという。 「芝居だけではなく、歌のレッスンも大変でした。声楽では『コールユーブンゲン』(注:声楽の教本)をやるのですが、それまでカラオケしか歌ったことがなかったので、歌の基礎からきちんと教えていただき、毎日が猛勉強の日々でした」 柚希さんは、最初から男役を目指していたのではないという。 「“男役で”というのは、身長で決まりましたね。身長が172cmあり、背が高いので男役でという分け方でした。バレエを習っていたころは、わざと身を縮めてみたり、華奢に見せようとしてきたんです。それが宝塚に入ったら、この肩幅や大きめの手も男役の場合は全部良いって言われたんですよ。“みんなは肩パットを入れて大きく見せているのに、あなたは肩パット入れなくても形がいい”なんて言われましたからね(笑)。 あとはなによりも、自分が男役を演じるということが最初は上手くできなかった。私は踊りたくて宝塚に入ったので、芝居の授業になると“こんなセリフ、恥ずかしくて言えません”って思っていました」 現在の柚希さんの姿からは意外だが、バレエ以外はすべて音楽学校に入学してから学んだため、思うような成績が出せなかった。 「お芝居と歌は、成績も下のほうでした。でも音楽学校は、バレエやタップ、日舞とかダンスの試験が多い。だから試験では、良い成績だったんです」 最初は親の勧めで受験した宝塚だったが、音楽学校に入学してからは、どんどん魅力にとりつかれていった。 「音楽学校のときにすごく仲が良かった同期が、『歌劇』や『宝塚 GRAPH』(宝塚の情報誌)を見ながら、”この方は? ““花總まりさん”と、俳優さんの名前当てクイズを出してくれて、それからどんどんハマっていきました。当時はまだ先のことがみえていない状況だったので、その時にやっていることが楽しい感じでした。だから自分がトップになりたいだなんて、到底考えてもいなかったです」 明るい口調で、宝塚時代を振り返ってくれた柚希さん。ソファに座る姿ですら、絵になっていた。その何事においても全力で振る舞う姿勢から、プロとしての覚悟を感じた。 柚希礼音(ゆずき・れおん) 大阪府出身。俳優。1999年85期生として宝塚に入団。初舞台後、星組に配属。新人公演や主演を重ね、‘09年に星組トップスターに就任。6年に渡りトップスターを務めた。’15年5月に退団後も、ミュージカルやコンサートなど精力的に活動。第30回松尾芸能新人賞、第65回文化庁芸術祭賞演劇部門新人賞、第37回菊田一夫演劇賞を受賞。退団後の主な出演舞台に『COME FROM AWAY』、『LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~』『マタ・ハリ』など。‘24年8月には、今年で開催5回目を迎える『REON JACK5』の公演を控えている。 池守りぜね
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