早逝の伝説的デザイナー倉俣史朗とは一体何者なのか?話題の展覧会の見どころをわかりやすく解説!
1991年に56歳で早逝するまで、個性的で革新的な家具や、特色ある店舗空間などで時代を牽引し続けたデザイナー、倉俣史朗の活動を振り返る展覧会が、2024年1月28日(日)までの会期で、東京・用賀の世田谷美術館にて開催されています。 造花のバラを透明アクリルに閉じ込めた椅子「ミス・ブランチ」や、内外装や産業用建材に使われることの多いエキスパンドメタルを家具に転用したアームチェア「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」、真っ白なハンカチの中央をつまんでふわりと落としたような、「オバQ」の愛称で知られる照明器具…。独創的な素材選びと、個性的でありながら機能も保持したフォルムで知られる倉俣史朗。 【写真集】「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」展レポート
1965年に独立して事務所を構えた倉俣は、1960年代以来、同時代のアーティストやデザイナーらとも交流を重ねつつ、独自のデザイン観のもと、多彩な作品を発表し続けました。そんな彼の作品は海外からも注目を集め、1980年代にはエットレ・ソットサスの誘いでポストモダンを代表するデザイン集団、メンフィスの活動にも参加。この頃からデザイン・スケッチを描くようになった彼はその後、既成概念に囚われない、自由で喜びに満ちたデザインを展開していきます。
展覧会は、窓のある半円形の展示室からスタート。カラフルなガラスの破片が美しくきらめくテラゾーの丸テーブル「トウキョウ」や、前出の「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」などが並ぶ空間では、倉俣が当時の新素材をどう家具に昇華させたかがわかります。
独立前に所属していた三愛での仕事を紹介する「プロローグ」を経て、本編は時系列順に4章で構成。「第1章 視覚より少し奥へ 1965-1968」では、クラマタデザイン事務所を設立し、店舗のインテリアデザインを行うとともに、オリジナルの家具の製作を始めた時期の作品を紹介。「第2章 引出しのなか 1969-1975」では、仕事の規模が大きくなるにつれ、さらに独自性を増していった時期に発表された、多数の引出しを持つ「引出しの家具」や、なかに光源を仕込んだ家具などを見ることができます。