【皇室ミステリー】皇室の紋はなぜ「菊の紋」になったのか?
日本国民が生まれながらにして仰ぐ天皇と皇室の起源、歴史、制度、役割などシンプルな疑問に迫る。 ■鎌倉時代初期の後鳥羽上皇の好みで皇族の紋はで「菊」になった⁉ 鎌倉時代初期の後鳥羽上皇は菊を好み、譲位後の衣服(袍)や牛車・輿に菊の紋を用い、自作の刀剣にも菊章を刻んだ(菊御作・菊作太刀)とされる。その後、後鳥羽上皇の先例が後嵯峨上皇に尊重され、子孫の後深草・亀山・後宇多上皇にも受け継がれた。以後、徐々に定着したと考えられている。 明治時代になると、政府は菊花紋の濫用を禁止し、天皇及び内廷皇族は十六葉八重表菊形、宮家の皇族は十四葉一重裏菊形と定められた。 ■皇族の「身位」とは何か? 戦後に制定された『皇室典範(こうしつてんぱん)』は、皇族の身位(身分・地位の序列)について、皇后・皇太后・太皇太后・親王(皇太子・皇太子孫を含む)・親王妃(皇太子妃・皇太孫妃を含む)・内親王・王・王妃・女王を皇族とする。(第五条)、さらに天皇から二世(子・孫)までを親王・内親王、三世以下を王・女王と定めている(第六条)。ここでの「世」は歴代の天皇と当該皇族との血縁上の距離を示し、皇族の身位と、それに伴う処遇の差異を定める基準となっている。 監修・文/久禮旦雄 『歴史人』2024年10月号「天皇と皇室の日本史」より
歴史人編集部