小椋佳(下)東大大学院で哲学専攻、卒業後は長年銀行マンとの二足のわらじ 徹夜明けでも出勤する強烈なパワーの持ち主
【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】 小椋佳は1971年、映画「初めての旅」に「しおさいの歌」が採用され、アルバム「青春~砂漠の少年~」でデビュー。当時は珍しいアルバムデビューだった。 【写真】小椋の手がけた「シクラメンのかほり」で賞を総なめにした布施明 東大卒の銀行マンということで、音楽業界では噂になっていた。ジャケット写真には顔がなかった。柔らかい歌声と楽曲がなんともロマンチックの世界を醸し出す。顔が見えないからいっそう想像力が膨らんだものだ。 銀行への就職が決まり、寺山修司の舞台を観てから寺山家に出入りするようになり、東由多加とも親しくなる。 69年、天井桟敷のLP「初恋地獄篇」に歌手として参加。それを聴いたレコード会社の人から、すばらしい声の持ち主だと言われ、後日、面会したら、がっかりした顔をされたと本人が記している。 イケメンではなかったが、いいものは必ず売れると強い信念でレコード会社は制作に入った。レコードジャケットに顔を出さなくても、その声と作品で十分に理解されるという確信があったのだろう。 デビューしてから20年近く、表舞台には出なかった。93年に銀行を退社後、東大に学士入学し大学院では哲学専攻で修士号を取得している。 子供のころには三橋美智也の大ファンだったそうで、三橋美智也30周年記念曲として、三橋本人からの依頼で83年に「十六夜だより」を提供。三橋は少しでも、小椋の歌の世界を演じようと、三橋節を押さえ、優しく優しく歌っている。改めて聞くと驚かされる。 2000年に五木ひろしに詞を提供した「山河」(堀内孝雄作曲)はNHK紅白歌合戦の大トリで歌われたことで、絶賛された。 「小椋佳は余興の人と言われるが、銀行マンとして米国研修に行った際、現地で『夢追い人』のレコーディングもしたが、一緒に徹夜で麻雀をしても、朝になると彼はちゃんと銀行の仕事に出かけていた。強烈なパワーの持ち主だった」と当時のスタッフが記している。 (敬称略) ■小椋佳(おぐら・けい) シンガー・ソングライター。1944年1月18日生まれ、80歳。東京都出身。71年に歌手デビュー。長年銀行マンとの二足のわらじだったが、93年に銀行を退職。2023年でコンサート活動から引退した。
■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で制作ディレクターとして布施明、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎らのデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、Perfumeらを輩出。17年に退職し現職。