ショーン・レノン、父ジョン亡き後のオノ・ヨーコの人生を回顧「気持ちを切り替えられていない」
ショーン・レノンが、父のジョン・レノンの死が母のオノ・ヨーコに与えた影響について振り返った。現地時間2024年12月8日は、1980年に米ニューヨークでジョンが亡くなってから44年目の命日だ。 多くの人々にとって、ジョンの早すぎる死は”音楽が死んだ日”の一例とみなされ、世界中の数え切れないほどの個人に影響を与えた。 とはいえ、その影響を最も強く感じた人は母親以外にいないとショーンは言う。 英BBC Radio 6 Musicとのインタビューでショーンは、ジョンが1973年に発表したアルバム『マインド・ゲームス』(当時の邦題:ヌートピア宣言)の、最近【グラミー賞】にノミネートされた拡大版ボックス・セットについて語った際、同アルバムの制作時の両親の関係について触れた。『マインド・ゲームス』の制作当時、ジョンはヨーコと別居していた18か月の“失われた週末”の真っ只中にあった。 ショーンは、「多くの人が、“ヨーコは今回のレコードには参加していないのに、なぜ彼女をブックレットにフィーチャーしているのか”などと言っていました。そして僕が思うに、そこには多くの歴史があり、その時代について多くの推測がなされているんですね、なぜなら彼らが“失われた週末”と呼ばれる有名な別離に向かって進んでいた時期だったからです」と述べた。 「でも、実際は離れていてもいつも話していたから、僕は二人が本当に別れていたとは思っていないんです。彼のものはすべてまだ母のいるアパートにあったし、本当の別離ってわけじゃなかった。それに、父は彼女のことばかり考えていました」と彼は続けた。 そして、「アルバムのジャケットを見ると、文字どおり山のような大きさの母のコラージュがあって、彼は背景に溶け込むような小さな存在です。彼の人生における僕の母に対する見方は明らかだと思います。明らかに母は巨大な存在だったんです。そしてこのアルバム全体が母についてのものです」と彼は語っている。 ショーンはまた母親について直接的に語り、ジョンが亡くなって以来、母親は“あの関係から気持ちを切り替えられていない”と主張したが、最近の『マインド・ゲームス』のリリースは両親への”ラブレター”のようなものだと認めた。「そういう言い方はしたことがないですが、良い息子であろうとする僕の最善の努力だと言えます」と彼は答えている。