【追憶のホープフルS】92年ナリタタイシン 小さな体で不利はね返す!皐月賞まで届いた究極の切れ
ホープフルSは「ラジオたんぱ杯3歳S」→「ラジオたんぱ杯2歳S」→「ラジオNIKKEI杯2歳S」→「ホープフルS」というレース名の変遷をたどっている。今回取り上げる92年は「ラジオたんぱ杯3歳S」の頃だから、ホープフルSの前身の前身の前身のレース、ということか。 あの一戦から30年以上がゆうに経過したが、勝ったナリタタイシンのもの凄い切れ味を覚えている方は多いだろう。一流の調理人が極限まで研がれた包丁でスパッと魚をさばくような、そんな鋭さがあった。 夏の札幌でデビューしたナリタタイシンは、この暮れの一戦が6戦目。重賞初挑戦でもあり12頭立ての5番人気は妥当なところだろう。人気は2戦2勝、底を見せていないトーヨーリファールと、前走・京都3歳S(当時オープン)で強豪エルウェーウィンと同着の1着をもぎ取ったマルカツオウジャが分け合っていた。 1枠1番からのスタート。1角までに外の馬たちにわらわらと前に行かれ、最後方からの追走となった。それでも荒れたインから上昇し、4角では7番手。だが、前も左右もがっちりと囲まれ、窮屈に。直線を向いたところで横のミナミノテンザン、マヤノギャラクシーとぶつかり、進路も狭くなった。絶体絶命だ。 この時、残り200メートル。ナリタタイシンのエンジンが一気に噴き上がった。先頭のマルカツオウジャから4馬身は離されていたが、そこからグッと差を詰める。残り100メートルで進路を斜めに取り、一気にマルカツオウジャに襲いかかるシーンは鳥肌ものだ。不利をはねのけ、ナリタタイシンが初重賞をつかんだ瞬間だった。 その後もシンザン記念、弥生賞を2着。ナリタタイシンはクラシック候補の一角として認識されるようになった。 当時、伊藤雄二厩舎には弥生賞でナリタタイシンを2馬身封じ込んだウイニングチケットがおり、浜田光正厩舎には若葉Sで2馬身差の快勝を収めていた芦毛のビワハヤヒデがいた。ナリタタイシンを含めた、この3頭が3強。それぞれの頭文字を取り、3強は「BNW」と呼ばれた。と、ものの本には書いてあるが、当時、そこまで「BNW」と言っていた記憶はあまりないのだが…。 迎えた皐月賞。やはり3強の競馬だった。直線を向き、力任せにねじ伏せにかかる岡部ビワハヤヒデ。そのビワハヤヒデを徹底マークして外から迫る柴田政人・ウイニングチケット。ビワハヤヒデが全てを振り切ったと思った瞬間、外から、あの切れ味でナリタタイシンが襲いかかった。426キロの小さな体を懸命に伸ばし、1冠を手中にした。 その後、ウイニングチケットはダービー、ビワハヤヒデは菊花賞を制し、BNWは1冠ずつを分け合う結果となった。93年牡馬クラシックは3頭の奮闘のおかげで非常に面白いものとなった。