契約解除当日ロッシー小川と話したこと&あれから1カ月
【WEEKEND女子プロレス♯2】
スターダムの創始者であり、ブシロード体制移行からエグゼクティブプロデューサーをつとめていたロッシー小川氏が2・4大阪大会終了直後、契約解除を言い渡され、団体を去った。団体は、「多数のスターダム所属選手・スタッフに対する引抜き行為」が原因と発表。小川氏が新団体旗揚げに向け動いており、その行為がスターダム内での“勤務中”におこなわれていたことが問題視されたのだ。 【写真】赤の王者・舞華、スターダム残留宣言「私がこのリングを守る!」 2・4大阪は、スターダム13周年記念のビッグマッチだった。この日、筆者は偶然にも小川氏とともに会場入り。まさかこの日、あのような事態が勃発するとは小川氏自身も想像していなかった。が、かねてより小川氏の退団は噂されており、筆者も昨年後半あたりから離脱をにおわせる話を聞いていた。お互いに「退団」「やめる」などストレートな言葉は使わなかったものの、雑談の中で小川氏は運営と現場の意識の違いに触れ、「1月までかなあ」とも。時期については噂レベルで二転三転していたのだが、いずれにせよ小川氏がスターダムから離れる決意は固まっていると認識。会場に向かう車内で筆者自身の今後の取材プランを告げた後、聞いてみた。「ところで小川さんはいつ(退団を発表するの)ですか?」と――。 そこで小川氏は、「今月の渋谷あたりかな」と言った。2・18渋谷のほか、2月には都内で2・14&17後楽園があり、このあたりでの発表を考えていたようだ。とはいえ、これはあくまでも公式発表であり、最後の仕事がどこになるかはわからない。いずれにしても、小川氏は近々のうちに退団を明らかにするつもりでいた。 車内では、今後に向け動き始めているとの話もあった。ここでは「引き抜き」に対する見解の違いも聞いた。これはどちらが悪いかではなく、立場の違いによって考え方が異なるというもの。契約が切れ、新たに契約を結ばない選手を迎え入れることに問題はないのではないか。が、団体からすればたとえ契約更新をしない選手がいるとしても、契約期間中にそういう話を現場でされては問題となる。常識的に考えれば、後者の方が正論となりそうだが…。 そして、車はエディオンアリーナに到着。 会場では欠場中の選手たちも集まっていた。結果的にほぼ全員が揃ったのだ。が、記念大会とはいえ東京ではなく大阪。そこにただ事ではない何かと感じたとはいえ、大会は無事終了。赤いベルトを守った舞華が全選手をリングに入れた。小川EPもリングに呼び込み、全員で記念撮影。通常ならば大団円のシーンだが、何か意味深な光景にも映ってしまった。 そして、メインのバックステージコメントが終わると、「緊急ミーティング」と称して選手・スタッフに集合がかかった。バックステージに荷物を置いていた報道陣らはすべて締め出された。このときの選手の慌てぶりは前回の舞華へのインタビューを参照していただくとして、全員が揃ったいい機会、筆者はてっきりここで小川氏のEP退任が正式に告げられ、あいさつがあるのではないかと思っていたのだが…。小川氏の話を聞こう。 「リングを下りてバックステージに行こうとしたらスタッフに呼び止められて、(控室とは別の)部屋に連れていかれたんですよ。そこには弁護士と法務担当の女性がいて、紙を渡されました。今日で契約解除ですと。そこで終わり。会社の用意したタクシーに乗せられ、帰らされちゃった。なんかドラマみたいだなあ、こんなことがあるんだなって…」 「緊急ミーティング」に、小川氏の姿はなかったのだ。ミーティング終了後、こんどはブシロードファイトの岡田太郎社長から2月4日付での小川氏契約解除が報道陣に向けアナウンスされた。と同時に、報道は団体の公式発表を待ってからにしてほしいとの通達も。これは試合の話題がリング外の出来事にもっていかれたくないとの配慮。そして翌日、公式ホームページにて発表され、小川氏の契約解除、すなわち解雇が明らかになったのである。 あれから1カ月が経過し、筆者は小川氏を訪ねた。そこで、2・4大阪の出来事を振り返ってもらうと…。 「あの日はケガしてる選手もみんな来てたんですよ。確かに違和感あったよね。ただ、セコンドくらいしか出番がないじゃないですか。せっかく来たんだから記念写真を撮りたかった。13周年というイベントだからいいかなと思って。自分の思い出にもしたかったしね。退団を意識してた? もちろん意識してましたね。だけど、これが本当に最後になるとは思ってもいなかったですよ」 大阪大会前日には、京都大会があった。そこで小川氏は岡田社長と話をしたという。小川氏は「東京3大会後の2月20日締め」で団体をやめたいと告げたとのこと。当初は3月末での勇退が検討されていたようだが、月末は地方大会。そこで、東京大会を区切りにしたいとの意向を告げた。ただそのときは考えを話しただけで、明確な返事があったわけではないという。実際、選手・スタッフには1月の高田馬場大会で小川氏の退任は明らかにされていた。が、具体的にいつまでとの発表はなかったようだ。 結果的に「契約解除」でスターダムを去った小川氏。役職変更や部署の異動ではなく、それはそのまま団体を去ることにつながった。では、EPとしての契約はそもそもどうなっていたのだろうか。 「確か(19年12月から)5年間だったと思うんですよ。4年経ったら今後について話し合うと。でも実際にそういう話はなく、新任者が把握してなかったんじゃないかな。ただ、岡田社長を11・18大阪で紹介されたときに、4年経ったからもうやめますとの話をしたんですね。慰留? そういうのはあったけど、自分の意志は固かったので。12・29両国の試合後にも木谷高明オーナーと1時間くらい話したのかな。そのときもやめるという話をしましたね」
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