イタリア最古の自動車コンクールのハイライトを飾ったのは、日本のナンバープレートを付けたマクラーレンF1だった! その初代オーナーとは?
新時代を予感させたマクラーレンF1の受賞
イタリア最古の自動車コンクールが今年もコモ湖畔で開催された。そのハイライトを飾る「コッパ・ドーロ」に選ばれたのは、意外にも29年前につくられたスーパーカーだった。 【写真5枚】イタリア最古の自動車コンクール、コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステを沸かせた貴重なクルマたちの写真を見る ◆マクラーレンF1の初代オーナーとは? 今年は5月24日から3日間にわたり行われたコンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ。8クラス・51台の中から13名の審査員が選んだベスト・オブ・ショーは、1932年アルファ・ロメオ8C2300だった。フランスで活躍したイタリア人コーチビルダー、ジュゼッペ・フィゴーニが手がけたスパイダー・ボディで、8C用としては僅か10台が製造されたうちの1台だ。オーナーは1937年に父親から海軍士官学校の卒業祝いにこの車をプレゼントされたものの、第2次世界大戦開始とともにアジア方面に赴任。以来彼が98歳を迎えるまで77年間、一部の機会を除いて秘蔵されていた。そうした数奇な歴史を物語るように、ベスト・オブ・ショー車両には珍しく、フルレストアとはいえない状態であった。 だが異例中の異例だったのは、招待者投票による「コッパ・ドーロ」に、参加車中2番目に若い1995年マクラーレンF1が選ばれたことだ。このシャシー番号43の車両の初代オーナーは日本の男性専門クリニック経営者。本人の要望でツートン・グレーに塗られている。実は彼がスポンサードし、関谷正徳氏らが操縦してル・マンで優勝したマクラーレンF1 GTRも、実は本人の要望で同じツートン・グレーに塗られていたのだ。 このマクラーレンF1がエントリーしたのは「ビデオ世代のスーパーカー・スターズ」クラスだった。その解説には「大陸の高速巡航を想定した開発意図に反し、モンテカルロやカンヌでプレイボーイたちの道具となった。極限レベルで操縦されることはビデオゲームの中のみだった」と綴られており、1929年に起源を遡る催しとしてはモダンな惹句が並ぶ。 選ぶ側のゲストも欧州の著名ファッション・インフルエンサーなど顔ぶれは変化を遂げている。従来と異なる感性が芽生え始めていることは確かだ。 美術における古い対立図式として「ハイ・アート」と「ロウ・アート」がある。前者が解釈に一定の知識や教養を要する高級芸術であるのに対し、後者は大衆芸術と訳される。しかし大量生産社会を背景としたポップアートの台頭で、その区分は無意味と化した。ヴィラ・デステの主役も、著名カロッツェリアによるハイ・アートから、マクラーレンF1のようなモダン・カーでも逸話のあるモデルへ。クラシックカーの世界でも、そんな変化が起こりつつあることを感じさせた。 文・写真=大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA (ENGINE2024年8月号)
ENGINE編集部