左脚切断を決断した河合紫乃さん(32) かつて打ち込んだバドミントンでパラリンピック出場目指し 富山
大学時代には学生日本一を2度も経験し、実業団選手として競技を続けましたが2年目の2015年12月。歩けないほどの股関節の痛みに襲われました。 4度にわたり手術を受け、1年4か月に及ぶ入院生活を送りましたが、状態は改善されず、手術の後遺症で左脚に麻痺が残ってしまいました。 それ以降、左脚の感覚がほとんどなくなり車いす生活を余儀なくされました。 河合さん:「やっぱり一番ショックだったのが、火傷しても分からない。温度がよく分からない。自分の脚がついていないというか。自分のだけど誰かの脚がずっと付けられているイメージ」 心にも大きな傷を負い、自宅に引きこもりました。 河合さん:「私は病気を受け入れられなくて、誰にも理解されなくて2年ぐらいうつ病だったんですけど。すごく苦しかった。誰ともしゃべれなかったし。笑うこともできなかった。だけど私はそこから抜け出したかった」 ■障がいを背負った自分と向き合うために そんなどん底でもスポーツをやっていたころのあの感情が心の中でくすぶっていたという河合さん。 自分らしさを取り戻すため再びスポーツを始めることを決意しました。ただ、周囲の予想に反して選んだのは車いすフェンシングでした。 河合さん:「私は、障がい者になったからパラバドミントンに行けばいいやってみんなに言われたんですけど、私の中では行きたくなかった。それは、やっぱり健常の時は出来たのに、障がい者になったらできないってことが分かっていたから、それだったら、もう新たな競技で一から挑戦して、違う競技で活躍したほうがどんなにかっこいいんだろうって(車いす)フェンシングに挑戦したんですけど」 2018年から車いすフェンシングを始め、わずか1年で日本代表に。 最初に目指した東京パラリンピックはあと一歩のところで出場を逃しましたが、諦めず追いかけ続けました。 河合さん:「結構きついです。こんな感じでいつも血豆とか破れて血がでてくる」