犠牲者悼み平和祈る 宇検村船越海岸で慰霊祭 沖縄県知事や児童らも参列 対馬丸事件から80年
沖縄から多くの学童を乗せた疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没した事件から80年が経過し、犠牲者が漂着した鹿児島県宇検村宇検の船越(ふのし)海岸で24日、慰霊祭が開かれた。地元住民のほか、玉城デニー沖縄県知事や、平和学習交流事業で対馬丸事件について学んでいる奄美・沖縄の児童生徒らが参列。約100人が慰霊碑の前で手を合わせ、犠牲者の冥福と世界の恒久平和を祈った。 対馬丸は1944年8月21日、沖縄の国民学校の児童ら1661人を含む約1800人を乗せて那覇港を出港。翌22日に悪石島沖で米軍の魚雷攻撃を受けて沈んだ。対馬丸記念会によると、少なくとも児童784人を含む1484人(判明分)が犠牲となった。 わずかな生存者と多くの遺体が奄美大島の宇検村や大和村、瀬戸内町に流れ着き、住民が救護や埋葬に当たった。宇検集落では事件を後世へ伝えようと、村の協力も得て2017年に慰霊碑を建立、集落主催で毎年8月に慰霊祭を行っている。平和学習で奄美を訪れた京都府の児童心理治療施設ももの木学園の子どもら5人も参加した。 慰霊祭実行委員長の津田政俊宇検区長は、「辛苦の中で命尽きた犠牲者を思うと、幾多の歳月が過ぎても心が痛む。(現在の世界情勢を鑑みて)過去の戦争を教訓とし、争いのない平穏な日々があり続けることを切に願う」とあいさつ。玉城知事、松藤啓介鹿児島県大島支庁長(代読)、元山公知宇検村長がそれぞれ追悼の言葉を述べた。 玉城知事は18年から沖縄県主催で実施している児童生徒の平和学習交流事業について触れ、「事件から80年を迎え、沖縄県と宇検村、悪石島の慰霊碑が戦争の悲惨さと平和の尊さを戦争を知らない世代にも伝えている。沖縄、奄美で記憶の継承と次世代の子どもたちの交流が深まることを強く願う」と力を込めた。