「好き」に人生をかけること プロゲーマー梅原が語る可能性とリスク
回り道して辿り着いた「自分がスーパーマンになれる場所」
――「自尊心がズタボロになったご経験」についてお聞きしてもいいですか。 梅原大吾: 僕は22歳のころ、一度ゲームから離れています。ゲームに関しては絶対的な自信はあったのですが、当時はプロゲーマーという職は無く、僕の中にも概念すらなかったんです。ゲームの中では武器や強いアイテムが手に入るけど、現実世界では何も手に入っていない状態。もちろんゲームに未練がないわけじゃなかったんですけど、そろそろ現実を見て働かないとと思って、22歳の時にスパッとやめました。 やめた直後は麻雀の道に進みました。それまでゲームしかやってこなかったので、学歴も資格も経験も何もありません。年齢は22歳だけど、持っているものは何もない。職も選べない。だったら、自分が好きだったゲームの世界での経験を活かそうと思って飛び込んだのが麻雀の世界だったんです。麻雀はプロも存在するし、自分の勝負経験も活きるのではないかと。 麻雀と向き合っている時は、まるで資格の勉強のような感覚でした。普通の人が手に職をつけるように、自分は麻雀の腕を磨いてなんとか食っていこうと。しかし3年ほど真剣に麻雀に取り組み、勝てるようになってきたところで、結局やめてしまいました。目の前で勝者と敗者が決まり、しかも自分が相手を倒すことで、敗者を奈落の底に落としてしまう。そういったプロ麻雀界の厳しさに耐えられなかったんです。両親にも「せっかく成果が出てきたのに、またやめちゃうんだね」と残念そうにされて、自分はダメなやつだなと思いました。 ――麻雀をやめた後はどうされていたのですか? その後は、飲食店など働かせてもらえるところで勤めましたが、長く続きませんでした。普通の仕事がなかなかつとまらないんです。人に教えてもらっても仕事を覚えるのが遅いし、「この歳までこいつは何やっていたんだ?」という周りの厳しい目もありましたしね。 ようやく続くようになったのは、介護の仕事でした。最初は不安だったのですが、思いのほか自分に合っていたんです。自分の配属された職場は結構ゆったりした雰囲気で、「早く仕事をやれ」と厳しく言われませんでした。ストレスなく仕事できる環境だったので、ここならなんとか社会に混ぜてもらえると感じました。加えて、自分の労働に対して、「ありがとう」と言ってもらえる。全く初めての経験でした。競争からまったくかけ離れた世界に身を置く中でたくさんのことを得ました。 ――その後、またゲームの世界に戻ってきますよね。きっかけは何だったのですか。 梅原大吾: 自分はゲームで人生を狂わされたと思っていたので、22歳でやめる時に「もう絶対にゲームはやらない」と決めていたんです。周りに誘われても、やらないと断っていました。 ところが、しばらくたった2008年にシリーズ10年ぶりの新作『ストリートファイター4』が発売されて、仲間がやろうとしつこく誘ってきたんです。あまりにしつこいのでその押しに負けて、一回だけやるつもりでゲームセンターに行きました。久しぶりにやったのですが、操作は同じなので体が覚えているんですね。結果、すごく勝てたんです。それがとても嬉しかった。何より嬉しかったのは、「自分は人より上手なものがあったんだな」と発見できたことです。 僕は麻雀をやめて以降、ずっと自分はダメだなと思い続けていました。介護の仕事を通してなんとか社会に受け入れてもらえたけど、だからといってテキパキ仕事ができるわけじゃない。生きていくことに精いっぱいで、自尊心は全くなかった。ところが久しぶりにゲームをしたら、勝てた。大げさに言うと、その場で僕はスーパーマンになれたわけです。 今までいろいろと回り道してきたけれど、結局はゲームが自分にとって一番いいものだったんだと、この時ようやく納得できました。「ゲームをやらない」と言っていたうちはまだ現実を見ることができていなかったし、過去を見ないようにして生きていたのかもしれない。過去を受け入れた上で、社会生活とゲームとを両立していこうと思えた瞬間でした。