泣くと呼吸が止まってしまう男の子と4年間NICUに通い続けた父母。治療と支援を両立するNICUをめざして~新生児医療の現場から~【新生児科医・豊島勝昭】
生後すぐから治療が必要なために、多くの時間を新生児集中治療室(NICU)で過ごす赤ちゃんたちがいます。治療が長く続く分、赤ちゃんに付き添う家族もNICUで過ごす時間が長くなりますが、赤ちゃんの治療や成長にも家族のかかわりが重要なのだそうです。 テレビドラマ『コウノドリ』(2015年、2017年)でも監修を務めた神奈川県立こども医療センター周産期医療センターの豊島勝昭先生に、NICUの赤ちゃんたちの成長について聞く短期連載。 第4回はNICUに長期入院した赤ちゃんと、その家族についてです。 【画像】高校生になったたっくんとお父さんと豊島先生
泣くと呼吸が止まってしまう、たっくん。4年半の入院の末
――NICUで長期入院していた赤ちゃんのなかで、先生の印象に残っている子のことについて教えてください。 豊島先生(以下敬称略) 私が地元の小中高校で行っている「NICU命の授業」にも登場してくれている先天性の難病とともに生まれたたっくんのことをお話します。たっくんは、お母さんが妊娠8カ月のとき、脊髄髄膜瘤(せきずいずいまくりゅう)と診断され、神奈川県立こども医療センター(以下神奈川こども)で出産しました。 この病気は「二分脊椎(にぶんせきつい)症」とも言われます。神経が通る背骨(脊椎)の形成時に異常が起き、脊椎の中を通る脊髄という神経が背骨の外に出ていたり、脊髄の一部がおしりの上のあたりから皮膚の外に出た状態になる病気です。背骨の外に出ている脊髄神経がダメージを受けている上に、皮膚の外に出ている神経は胎内で子宮内を流れる羊水(ようすい)にさらされてさらにダメージを受けることで、生まれたあとに歩くことができないなどの運動障害や下半身のまひの症状が出ます。 治療は生後数日以内に皮膚の外に出ている神経組織を脊椎という骨の中に戻した上で欠損していた皮膚を覆う手術を行います。しかし、根本的な治療ではなくて脊椎の外に出ていた脊髄神経の機能は完全には回復しないために神経のまひが残ります。 また、脊髄髄膜瘤では脊椎の外に出ていた脊髄神経が脳全体を下側に引っ張るキアリ奇形が合併していると手術後にも症状が出ます。キアリ奇形は頭蓋骨の中にある小脳や脳幹が、頭蓋骨の出口(大後頭孔)から脊椎に落ち込む状態です。キアリ奇形は、脊椎に落ち込んだ小脳や脳幹が骨に圧迫されることによる無呼吸発作や嚥下(えんげ)障害、頭や脊髄を循環する水(脳脊髄液)の通過を障害して、水頭症を発症します。 水頭症になると脳圧が上昇するために不機嫌・哺乳不良・頭囲の急速な拡大・発達遅延の原因になるため脳圧を低下させる脳室腹腔シャント手術などが必要なります。 脊髄髄膜瘤は、数年前から胎児手術が行われるようになってきています。妊娠中のお母さんの子宮を切開して、胎児の背中を閉じる手術を行うことで、羊水にさらされていることによるダメージを減らして、のちの神経障害を軽減できる治療として期待されています。 さて、2008年に生まれたたっくんは、重症な脊髄髄膜瘤の子の1人でした。おしりのあたりから脊髄の一部が外に出ていることから呼吸をつかさどる脳幹も引っ張られるキアリ奇形のために、泣きすぎると、呼吸を止めてしまう無呼吸発作が起こりました。 泣き続けると真っ青になりぐったりして心臓もゆっくりになる徐脈発作もあるために、無呼吸発作の度にNICUスタッフが集まり心肺蘇生を1日に何回も繰り返す病状でした。 お父さん・お母さんも、たっくんの病気の治療にとって欠かせない存在でした。お母さんはたっくんが寂しくて泣いてしまわないように、毎日のNICU面会を続け、朝から晩まであやしていました。お父さんも毎晩仕事帰りにNICUに立ち寄り、たっくんが寝ぐずりしないように、寝かしつけてから帰宅していました。 やがてたっくんが少しずつ成長するにつれて泣きすぎることはなくなり、生まれてから4年が過ぎたころ、ようやくNICUを卒業できる病状になりました。その後、小児科病棟で半年間過ごしてから在宅医療となりました。今、たっくんは特別支援学校の高校生になっています。外来に来たときは電動車椅子を自分で操って笑顔で近づいてきてくれます。 何度もNICUで命の危機にひんしたことを思い出すと、両親がたっくんのそばにいたことが、たっくんの安心や安静につながり命を守った、入院が続いていても笑顔を忘れず共に過ごしていた両親の思いを受け止めて、笑顔で人に感謝を伝えられるすてきな人に成長したたっくんの今があると思っています。