アジアの歌姫「テレサ・テン」が5年間来日できず…“日本の父”が語った「パスポート事件」の真相
なぜインドネシアのパスポートだったのか
「台北で母親と落ち合って日本へ来る予定でした。台湾のパスポートを使って香港を出国したまではよかったのですが、台北の空港で、誤ってインドネシアのバスポートを出してしまう。『しまった!』と慌ててこれを収め、香港へ舞い戻った。そして14日、そのインドネシアのパスポートを使って来日したのです。ええ、何事もなく入国できました」 問題のパスポートは、テレサの写真が貼付された「テン・エリー」名義。在ジャカル夕日本大使館で取得した日本ビザもくっついていた。しかし、よりによってなぜインドネシア人に成りすます必要があったのか。 「台湾は、日米のみならずほとんどの国と国交を断絶していた。だから、“台湾のパスポート”だけでは諸外国への出入りがとても不便。そのうえビザも取らなければいけないので、時間がかかって仕方がない。そこへいくと、インドネシアのパスポートは手に入れやすいし、それで出入国が楽になるから重宝されていましたよ」(当時を知る関係者) 舟木氏がこれを受ける。 「実際、あの頃の台湾の芸能人や海外での仕事が多いビジネスマンは、台湾だけでなくインドネシア等のパスポートも持っていた。国交のない国へ入るために、インドネシアの方を使うことがよくあったのです」
勾留は7日間
テレサのことを知らぬ者などいない台湾で、彼女が台湾以外のパスポートを呈示したとなれば、足がつくに決まっている。事実、日本へ“密入国”を果たしたちょうどそのおり、東京の入管事務所あてに、次のような情報がもたらされた。 〈偽造インドネシア旅券で台湾入りしようとして入国を拒否されたテン・エリーなる女性が、日本へやってきた可能性がある〉 入管が調べたところ、テン・エリーことテレサ・テンが母親らと、東京ヒルトンホテル(現・ザ・キャピトルホテル東急)に投宿していることがわかった。 「17日の夜8時頃に、『入管がテレサを連れて行った』という電話を彼女のお母さんからもらい、驚いたのを覚えています。テレサはそのまま港区港南の入管事務所に勾留されてしまいました。外国人が何人もいる相部屋で格子つき。ただ、不法行為とはいえ、彼女の不注意と国交の事情あってのことだから、2、3日で解放されると楽観していたのです」(同) 意外にも勾留は7日間に及んだが、その間、舟木部長の頭を悩ませたのは、“彼女のその後”のことだった。 「日本の当局は『日本国外なら何処へでもどうぞ』というスタンス。でも、台湾側は彼女の身柄引き渡しを強く要求していました。となると処罰されるし、海外に出ることもできなくなる。もちろん歌手生命にも関わる。とにかく台湾だけは避けなければと……。日本の外務省など関係部局と協議した結果、ロサンゼルスに決めたのです」(同) そして2月24日、傷心の歌姫は機上の人となった。