PERSONZ、“39周年”を締め括るロック・パーティー開催 千秋がゲスト出演し「DEAR FRIENDS」をコラボ:レポート
“THE SHOW MUST GO ON”──それでもショーを続けていく決意表明
15分の休憩中に、張り出し舞台の後方席(上手エリアと下手エリア)が向きを変え、最前席に。これで全席がメインステージを向く形となる。18時44分に場内が暗転、ステージのバックスクリーンに今回のツアー・タイトルが投影される。続いてメンバー1人ずつ写真と名前が映し出され、個別に演奏を披露していくという小粋な演出。渡邉、本田がそれぞれ登場した後、もはやお馴染みのゲスト・プレイヤー、鍵盤奏者のおおくぼけい(アーバンギャルド)が登場。ユニセックスな装いでショルダーキーボードを振りかざして存在感を大いに発揮する。藤田が現れ、おおくぼが拍手をさらに大きく! と手振りで煽る。最後にわがロックンロール・クイーン、冠姿のJILLが神々しく降臨。役者は揃った。待ちに待ったバンド編成のライブの始まりに、怒涛の大歓声と共にフロアは総立ち。バンド・セットの序章を飾る「DRAGON LILY」(2006年、今回は“大感謝祭ver.”)の合奏が本格的に始まると、「ヘイ! もっともっともっと! カモン!」とJILLが観客を挑発する。 2024年は辰年、ドラゴンイヤー。結成40周年へ向けたキックオフ・ライブのイントロダクションとしてこれほど相応しい曲はないだろう。続く「SLEEPING BEAUTY」(1993年)では、本田がピート・タウンゼントを彷彿とさせる、右腕を大きく振り回しながらコードを弾くウィンドミル(風車)奏法を披露。JILLは冠を外し、花道を乗り越えて張り出しのステージへ向かい熱唱を続ける。 「さあ、ここからは“イェイ! イェイ!”セクション、“イェイ! イェイ!”ライブです!」とJILLが改めて盛大なパーティーの開催を宣言し、おおくぼけいを紹介する。「次は彼のキーボードが引き立つ曲を…」と、切なく疾走するメロディアスな曲調の「JUSTIFY」(2002年)が披露される。ビリー・プレストンが加わることでピリッと引き締まるビートルズのアンサンブルに似た相乗効果、それに近いものがこの日のPERSONZ+おおくぼけいには感じられた。ただし、戸川純や頭脳警察、大槻ケンヂなど数々の大御所ミュージシャンとの共演を果たしてきたおおくぼの自己定位は、主役の特性を最大限引き出すことに徹し、自身は終始引き立て役を貫く在り方だ。もちろん代替不可の個性は発揮するものの、必要以上に自分色に染め上げない。そのバランスと距離感が絶妙だからこそ、おおくぼにはサポート依頼のオファーが後を絶たない。 ここでJILLが一旦、舞台袖に捌ける。暗転の中でレジスターと硬貨の効果音が鳴り響き、ピンク・フロイドの「MONEY」を喚起する気怠いムードのインストゥルメンタルが奏でられる。華美なハットにサングラス、JILL自作のMoney帽子とストール、ゴールドのマネーガンを持って、「FUNNY MONEY」(1988年)のイントロが。なるほど、そう来たか。JILLが持参したトランクをバーンと開け、そこに入っていた紙幣の束を勢いに任せて客席へ向けて撒き散らす演出にも納得する(ちなみにその紙幣は、各メンバーの肖像画があしらわれた100ドル紙幣だったようだ)。 年末を騒がせた、政治家の政治資金パーティーをめぐる一連の問題を念頭に置いたのか、「世の中、カネ、カネ、カネ…と言ってますけど、私たちは清く正しいロック・バンドです!」とJILLが高らかに宣言。今年ようやく実現できたツアーを誰一人倒れることなく完走できたことをオーデェインスに感謝し、労をねぎらう。そして「みなさん、今日のスペシャル・パーティー、楽しんでいますか? 懐かしい曲を行きます!」と、時代は一気に36年前へとプレイバック。ファースト・アルバム収録の「REMEMBER」(1987年)のイントロが奏でられ、一際大きな歓声が巻き起こる。客席の大部分を占める、今や日本社会の支柱となる世代がただ夢見ていた“Eyes Of Children”の時代へ戻れる時間だ。 そのまま矢継ぎ早に「LUCKY STAR」(1987年)へと繋ぎ、夢のプレイバックは止まらない。JILLは右腕と左腕を交互に突き上げ、観客もそれに応えるように拳を突き上げながら、間奏は嵐のようなOiコール。不朽不滅のロックンロール・ナンバーは、広大なイベントホールをひとたび狭小なライブハウスへと豹変させる力を持っている。本田が渡邉に駆け寄り、互いにキメポーズを取り合うのも次世代へ受け継がれるべき清く正しいロックの様式美だ。 「6月からのツアー、今まで眠らせていた曲をどんどんやります! 春のアコースティック・ツアーはノリの良い曲もやります! 『I AM THE BEST TOUR』に来てくれてどうもありがとう!」 JILLが改めて観客に礼を述べ、ガムランの音色に導かれて「DREAMERS ONLY」(2015年)が始まる。不安な夜を塗り替えて、砕けない夢を夢見て、傷つき倒れそうでも立ち上がり挑んでいく。「自分を信じる心 抱きしめて」。そう唄われる「DREAMERS ONLY」は癒し系ならぬ肥やし系、心の糧となる歌だ。そう考えるとPERSONZの歌はどれも唄うお守りなのかもしれない。 老いも若きもOiコールで拳を突き上げ、興奮冷めやらぬなか、“B, B, E-S-T, B-E-S-T, Go!”という今やすっかりお馴染みとなったリフレインが聞こえてくる。70年代の洋楽を熱心に聴いていた世代はニヤリとするチャントだ。本編最後は本ツアーを象徴する一曲、「I AM THE BEST」(2020年)。比較対象はどこかの誰かではなく、常に自分自身。別に大きな夢じゃなくたっていい。どんな些細なことでもいい。昨日より今日。今日より明日。ほんの少しの伸びしろでも自己ベスト記録を自分らしく更新できればそれで充分。そんな願いにも似た思いをJILLは“I AM THE BEST!”のリリックに込めて唄う。鳴り止まぬ“B, B, E-S-T”の手拍子。バンドは最後の力を振り絞って渾身のプレイを聴かせ、JILLは張り出しの舞台まで詰めかけて最後の最後までオーディエンスを煽り、終幕と相成った。忌々しいコロナ禍を経て3年越しのツアー開催という悲願のリベンジを果たしたことの喜び、達成感をバンドと観客が共に分かち合えた瞬間だった。 当然の如くアンコールを求める歓声が鳴り響くなか、まずはJILLのみが登壇し、メンバーを1人ずつ呼び込む。「今日はアコースティックに通常のバンド・セットといろいろ楽しんでもらえたと思いますが、僕も全力で楽しんでいます」(藤田)、「今日はステージから遠い客席も張り出しのステージだと間近になって、そういう変化の面白さもこうしたライブならでは」(本田)というコメントの後、渡邉からは今日のライブがニコニコ生放送で生中継されていることが改めて伝えられ、さらにニコ生が2024年、PERSONZの40周年を密着することを発表。ニコ生のスタッフに熱心なPERSONZのファンがいるらしく、その縁で実現したという。ここで待望の新曲「FLOWER OF LOVE」を披露するのも良い流れだった。 2024年3月からのアコースティック・ツアーが『HAPPY BLOOMING TOUR』(“BLOOMING”=“咲く”)、6月からの40周年記念ツアーが『40th FLOWERS』と命名されているように、PERSONZの40周年におけるキーワードは“FLOWER”のようだ。「これからもバンドを続けて花を咲かせたい。ずっと音楽を続けていたらみなさんという花が咲いてくれました。みなさんがPERSONZの曲を育ててくれた。愛を持って育ててくれた」。 そう語るJILLは、この「FLOWER OF LOVE」を1月25日にデジタル・リリースし、それ以降、毎月新曲を届けようと考えていること、それが溜まれば1枚のアルバムにしたいと考えていることを告げた。そうして披露された「FLOWER OF LOVE」は、如何にもPERSONZらしく実にポジティブな、聴き手を鼓舞するように快活なナンバー。「自信を持って良い曲だと思います。レコーディングのときに思わず感極まった」とJILL自身が語るように、PERSONZの新たなクラシックとなる風格をすでに兼ね備えた一曲と言えるだろう。花が咲くまでには時間も手間もかかる。種子を蒔き、地に根を張り、芽が出て、空へ向かって茎を伸ばし、花が咲く。その長い過程では水や栄養を絶えず与えることも大事なら、育て続ける思いや根気もまた大事だ。骨の折れる作業には違いないが、だからこそ咲き誇る花は美しい。ただし花の命は短く儚い。それは儚さゆえの美しさとも言える。しかも同じ品種の花でも花びらと葉の位置はどれも異なり、1本たりとも同じ花は存在しない。1本1本違う花。でもどれも美しく咲き誇る花。開花するまでに七転八倒する労苦と長さに比べて咲き乱れる時間がとても短い花。なんだかわれわれ人間の営みみたいではないか。 閑話休題。JILLがおおくぼを呼び込み、おおくぼにより「HAPPY BIRTHDAY TO YOU」が奏でられ、ステージにバースデー・ケーキがサプライズで持ち込まれる。翌日(12月31日)に62歳の誕生日を迎える本田毅を演者も観客も一斉でお祝いする。これで1月にJILLが誕生日を迎えるまでは、JILLが63歳、本田が62歳、藤田が61歳、渡邉が60歳と、きれいに1歳ずつ離れるのだという。「PERSONZは大器晩成型なのかな? 今は何も怖いものがない。みんなでハッピーになりましよう!」とJILLが話し、“ラララ…ララ…ラララ…”と観客とのコール&レスポンスを経て披露されたのは、オープニングで披露された音頭ではなくオリジナルの「BE HAPPY」(1988年)。JILLは再び張り出しステージまで駆けつけて絶唱し、本田が渡邉のもとへ駆け寄って一緒にジャンプしながらプレイする様が微笑ましい。場内の揺れが凄い。 初期楽曲の無垢なパワーが聴き手を無垢の笑顔にして無邪気に踊らせるのだろう。その後、「これから大晦日、正月を迎える大変な時期に来てくれてありがとうございます」と語ったJILLは、この2023年が数多くのバンド仲間が他界した悲痛な1年だったことを明かした。高橋幸宏、坂本龍一、鮎川誠(シーナ&ロケッツ)、PANTA(頭脳警察)といった先輩格、櫻井敦司(BUCK-TICK)やISSAY(DER ZIBET)、HEATH(X JAPAN)といった共にバンドブームを牽引し続けた同世代、チバユウスケ(The Birthday, THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)や恒岡章(Hi-STANDARD)といった後進のバンドマンたち。 「今年ほど死を身近に感じた1年はなかった」とJILLは心情を吐露した。 「正直、自分たちだっていつまでこのバンドを続けられるかわかりません。でも、もし私がどこかで倒れて二度とバンドをやれなくなったとしても、そこで悔いがないと言い切れるバンド活動を普段からしていたい。だから来年もまた…私たちに会いに来てください!」大歓声で応えるオーディエンス。そのリアクションを受けてJILLは続ける。「言霊ってありますからね。ここで言っておきます。私は100歳まで唄い続けます!」。 そう高らかに宣言し、披露されたのは「THE SHOW MUST GO ON」(1993年)。ご承知の通り、本田の脱退後に布袋寅泰や服部隆之の助力を得て制作された7thアルバムのタイトルトラックだ。この曲を今日この場でプレイすることこそ数多くの仲間たちを見送ってきた彼らならではの大いなる決意表明であり、志半ばで倒れた仲間たちへのレクイエムであり、この日のライブにおけるハイライト、一番の見せ所に思えた。JILLもそれに相応しい声の張り上げを聴かせ、尋常ならざる歌唱力の高さに圧倒される。 唄い終えたJILLは、こう語った。 「その時代によって歌の解釈は変わるものですね。1993年に『THE SHOW MUST GO ON』を書いたときはこの先どうなるんだろう? という不安で一杯だったけど、今日はどこまでも行くぞ! バンドはまだまだ続くぞ! という思いです」。バンドが本格始動する前から切磋琢磨してきたかけがえのない仲間が違う道を歩むことになり、失意のどん底に叩きつけられ、それでもショーは続けなければならない、一度始めてしまったら何があっても中止できないと何とか軌道修正していたあの頃とは違う。辛酸を舐めた過去も、辛抱強く友を待ち続けて再び合流し、“RELOAD PROJECT”の一環として24年後に4人で『THE SHOW MUST GO ON』を再構築するという明るい未来に塗り替えられた。それもPERSONZという屋号を決して下ろさなかったがゆえだ。まさに継続は力であり、バンドの歩みを止めなかったからこそ夢の断片を形にできた。耐えて咲かせる花もあることを、自称・大器晩成型のPERSONZは身に沁みて理解している。 さて、宴もたけなわだ。3時間半に及ぶ究極の“Rock Party”の締め括りは「DEAR FRIENDS」(1989年)。千秋と當間ローズを呼び込み、1番の平歌を千秋が、2番の平歌を當間がそれぞれ独唱。間奏のギターソロで本田が初めて張り出し舞台へ駆け寄り、終盤の“Wow, wow, wow, my best friends”の大合唱では、JILL、千秋、當間の3人が張り出しへ出向いてフロアとの境界線をなくす。全席から届く“Wow, wow, wow”、圧倒的一体感。「2024年もまた一緒に唄おうね!」というJILLの掛け声と共にアウトロへ加速、大団円を迎えた。 最後は張り出しステージで記念撮影。「良いお年をお迎えください! 来年また会いましょう!」とJILLが挨拶し、PERSONZが親愛なるオーディエンスへ贈る2023年最大の祝典は幕を閉じた。 “THE SHOW MUST GO ON”、人生もショーも悔いの残らぬように最後まで最善を尽くして全うしたい。結成40周年の節目に向けてそう宣告し、表現者としての覚悟を明示したPERSONZの2024年は、いつか大輪の花を咲かせる日を夢見て絶えず疾走を続けるのだろう。寒苦に耐えて咲く梅や椿のような美しさ、可憐さ、揺るぎない強さを身に纏い、PERSONZの自己ベスト記録更新は続く。(文:椎名宗之)